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 新型コロナウイルスを抑え込むことに成功した国として、中国、韓国、シンガポールなどが挙げられています。いずれも強権発動が功を奏したと思われています。無論、対策が手遅れで全土を封鎖したにも関わらず、感染死亡者が爆発的に増えたイタリアやスペインも最終的には強権発動しています。

 疫病対策の基本は、人と人が距離を取るソーシャル・ディスタンシング。私は言語の問題にも注目していて、日本語はあまり唾を飛ばす言語ではありませんが、韓国語には発音で爆発音というのがあり、たとえば釜山をプランとブサンと両方使っているのは「부산」の「부」は「プ」あるいは「ブ」とも聞こえる爆発音で、当然、唾が飛びます。

 イタリア語、スペイン語、フランス語の発音も飛沫の多い言語です。ソーシャル・ディスタンシングといっても、マスクなしで喋ると感染は早いかもしれません。南欧には握手だけでなく、頬にキスをする、抱擁する習慣があります。インドは世界一人的距離が狭い国で、日頃の習慣を変えるのは大変です。

 しかし、疫病対策はソーシャル・ディスタンシングを徹底し、感染者の隔離を行うためには、国民の自発性にまかさえるだけでは限界があり、中央政府の権限強化も必要です。各国首脳は「戦時下」にあることを強調し、政府が国民生活を大幅に制限する厳しい措置をとることに理解を求めています。

 英保守系メディア「ザ・テレグラム」は、この中央政府に強権を与える現象に対して懸念を表す記事を掲載しています。記者のティム・スタンレー氏は、昨年出版されたロンドン大学のジョン・ヘンダーソン教授の著書『包囲されたフィレンツェ)』を引用しています。

 1629年にイタリア・フィレンツェでペストが大流行した際の出来事を記した本の中で、当時、市は市街周辺に検問所を設け防疫線を張ったにも関わらず、農民たちはうまくすり抜け効果がなく、瞬く間に大勢の市民が死亡したそうです。そこでフィレンツェ市は1630年1月、ロックダウンを実施し、食糧は各世帯の玄関先に届けられたそうです。

 スタンレー記者はそれを「近世初期で最も社会主義に近づいた瞬間だっただろう。この外出禁止令を破った者は、誰であっても厳罰に処された。罰則には投獄も含まれ、それはほぼ死を意味しただろう」と書いています。結果、「仕事場は閉まり、娯楽は禁止され、恋人たちは引き離された。司祭たちは鐘を鳴らして礼拝の開始を知らせ、街中の人々は自分の家で祈りをささげた」。

 「夏になるとペストはようやく収束した。市民たちは聖体の祝日に街に繰り出し、神に感謝の意を表した」とあり、ロックダウンを断行したフィレンツェの致死率は他の都市(たとえばベローナで人口の61%が死亡)と比べ、低かったといわれ、ロックダウン効果は大いにあったことを記録されています。

 無論、当時は今ほど民主主義が成熟していたわけではなく、権力者に属する大商人や聖職者が幅を利かせ、民意なるものが反映される政治が行われていたとも思えませんが、着々と近代市民社会に向かっていたルネッサンスの時期に、疫病対策で社会主義的強権が下された時期でした。

 スタンレー氏は「皆がリバタリアン(自由至上主義者)だと思っていたボリス・ジョンソン英首相は、戦時共産主義と類似した思想と手を結んだらしい。英政府はこれから財政出動や市民的自由への介入について大きく、非常に大きく動こうとしている。」ことに懸念を表明しています。

 戦争という言葉を使えば、権力者はどんな権力をも行使でき、それに味をしめた権力者(官僚も含まれる)は、なかなかその体制を手放そうとしなくなることを懸念しているわけです。戦争という言葉を使えず、法律すら存在しない日本では、むしろ政府の及び腰が問題ですが、英国はまったく違った状況です。

 それにブレグジットで3年7カ月も迷走した原因は民主主義のシンボルである議会で紛糾し続けたことが原因でした。だから英国民は、今回の疫病対策では迅速で大胆な対応をジョンソン政権が取ることを期待しています。リバイアサン(強大な国家権力)についてスタンレー記者は「英国は第2次大戦の終盤にそれを経験し、元に戻るまで40年以上かかった」と指摘しています。

 危機対策の財政出動も小さな政府を追求するリバタリアンには警戒すべきことです。中国と並び韓国が迅速に対策を講じられたのも、社会主義者の文在寅大統領のリーダーシップと、常に北朝鮮との有事という韓国の特殊事情があり、強権発動が容易だったことが伺えます。

 しかし、疫病対策で成果を上げたから社会主義がいいとか、大きな政府が正しいというのは非常に危険な考え方です。強大な権力を一人の人間もしくは集団に長期にわたって与えて良かったことは、歴史上ほとんどありません。人は金と権力、名誉や地位には弱いものです。

 スタンレー記者が結論づけているように、たとえ有事であっても国民は黙るのではなく、疫病押さえ込みという共通の目標に向かって、政府が打ち出す対策に違和感を覚えれば、声を上げるべきだというのは正しい主張だと思います。無論、危機対策では意思決定は絶対的に重要だし、従うべきです。

 しかし、意思決定に向かうプロセスで、それぞれの立場で政府に対して警鐘を鳴らすのは間違っているとはいえません。意志決定者である政府は、そのような意見に真摯に耳を傾けながらも迅速に決断していく必要があります。

 特に今の日本政府を見ていると疫病対策に優先順位をつけられない状況に陥り混迷しているように見えます。英国と違い、まずは人命と経済で優先順位を明確にする必要があるでしょう。

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