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 中国武漢を発生源とした新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)は、止まるところを知らない状況です。日本人の感覚なら初動を間違えた中国は、世界に多大な迷惑をかけたことを謝罪すべきと考えますが、中国は逆に感染を押さえ込んだ成功体験を引っさげ「世界に教えてあげたい」と上から目線です。

 もしかしたら、メルケル首相がいうように世界は「第二次世界大戦以来の危機」に直面しているかもしれない事態ということは、中国はなんらかのメッセージを発信すべきです。しかし、日頃から超内向きで一党独裁体制を維持する中国は、世界の人がが共感できるメッセージは発信できていません。

 日本人がグローバル・シーンで異文化の人々と協業してストレスを感じる1つに「謝らない」「いいわけや責任転嫁が多すぎる」というのがあります。たとえば上司に指示された仕事でミスをした場合、「最初から指示内容に無理があった」とか「同僚のB氏のスキルが低いから結果を出せなかった」などといって、謝る気配はありません。

 夫婦の間でも、妻が夫に頼まれて買った物が違っていても「紛らわしい物が多すぎる」と責任転嫁し、間違った物を買ったミスを認めようとしないケースもあります。何か揉め事があると、日本人は内心「ここで誰かが謝れば事が済むのに」と思ったりしますが、普通は誰も謝りません。

 私の調査では、様々なケースで「あなたは相手に謝るか」という質問に対して、最も謝らないと答えたのはアメリカ人、2位は中国人でした。韓国人も上位に位置し、むしろ謝罪文化そのものが存在しないかの様でした。

 むしろ、相手に謝る意味が理解できないという意見の方が多かった。では、なぜ日本人は何でもすぐ謝るのか。異文化を説明する多くの人は謝罪より保身を優先すると指摘しています。

 しかし、私は一歩踏み込んで、日本の村社会、職人文化の徒弟制度、主人に仕える忠誠心、親に対する孝行心、仏教、儒教などが、複合的に重なり合い、世界では稀な謝罪文化が生まれたと考えています。私自身、身近にフランス人の妻や親族がいて、さらにグローバル企業のコンサルをしたり、フランスのビジネススクールで教鞭をとったり、世界中を取材したりする中で、考え続けてきたことです。

 まず、村社会には、その村だけの独特な掟、ルールがあるものです。それは微妙なバランスによって「和」を保っている。もし、ある人が和を崩すようなことをすれば、全体に対して謝罪を要求され、謝罪が許されなければ、村八分になります。その審判は通常、正義を根拠にしていません。

 職人文化は徒弟制度で成り立っています。技を極めるために師匠の家に入り、雑巾駆けしながら師匠の技術を盗み、叱られながら育っていくのが常です。師匠の個人的感情も含んだ叱責はパワハラとは捉えられず、弟子はひたすら下を向いて謝るだけで、謝らなければ追い出されます。

 日本には昔から丁稚奉公の習慣があり、少年が商家に住み込み、小間使いをしながら商家の隅々まで理解し、取引先や顧客に精通し目標は商売を覚え、番頭になることです。主人から評価を受けるために主人の気持ちを悟り、斟酌しながら何でもやる人間にならなければなりません。

 職人の徒弟制度も商家の丁稚も、最初は食べさせてもらい、技や商売の仕方をタダで習うわけですから、感謝は当り前でミスをすれば、主人に謝るのは当然という関係です。この文化は近代化された今の日本でも、形を変えて根強く残っています。

 ビジネススクールの授業で日本企業に残る職人文化の説明で、高学歴者も最初は一兵卒から始まる慣習を紹介したことがあります。それに対してフィンランド人の学生が「能力のある人間を最初から適材適所で使わないのは愚かだ」という意見が帰ってきました。

 徒弟制度にしろ、丁稚奉公にしろ、背景には「人生は修行」という仏教文化も存在しています。一人前にしてもらうために修行させてもらうのだから、師匠も主人もありがたい存在です。寺に入り、修行を重ね、悟りを開くには、一にも二にも忍耐です。叱責も自分を成長させる肥やしと考えます。

 日本では主人に仕える人間がどうあるべきかについては多くの教えと高い規範が存在しますが、主人がどうあるべきは極めて手薄です。なぜなら皆自分の上を見て、村のルールを踏み外さない様に空気を読んで人生を送っているので、横の同僚や部下への意識は薄い傾向があります。誠実さも主人に対する忠誠心あってのことで、周囲全ての人に対する誠実さではありません。

 これらの大元には、親に対する孝の精神があり、親に対して子はどうあるべきかという儒教的規範が存在します。昔は親に刃向かう子は親不孝者といわれ、いかに親に従い、親を困らすことなく、親の気持ちに寄り添い、喜んでもらうかに子供は集中すべきだと教えられました。

 孝の精神は美しいものとして賛美されましたが、今は親や教師を敬う文化は、ほとんど日本では消えている状況です。そのため、会社に入っても、宴会で上司が座るべき上座の席に部下が平気で座って、ため息をつかれることは多発しています。

 しかし、上司に評価されたいという動機もあって、上司に迷惑はかけられないとか、上司の顔色を伺い、上司に喜んでもらおうという考えは今でも存在します。となると上司が不快に思えば、謝るのは当然です。つまり、日本文化に歴史的に深く根ざした様々な要素が複雑に絡まり、謝罪文化が出来上がっるといえそうです。

 外国人初のトヨタ自動車取締役副社長のフランス人のディディエ・ルロワ氏は、就任当初「今後は、上司のためではなく、会社の利益のために働け」という衝撃発言をしました。ヨーロッパで日産に勤務した経験を持つ同氏は日本人を知っており、上司の顔色を見ながら働く日本人に違和感を持っていたことが伺えます。

 そのトヨタの最近の社内アンケートで、管理職になりたい社員が全体の30%しかいないという結果があったそうです。理由は「自分が憧れ、あの人の様になりたいと思う上司が見当たらないから」というものでした。逆にいえば、「あんな人間になりたくない」ということです。これは今の日本企業の抱える問題の核心をついた部下の本音だと思います。

 謝罪文化の説明から外れますが、下が上に対してどうあるべきかは、日本は非常に高い規範を保ってきましたが、上が下に対してどうあるべきは、未だに先が見えていない状況です。私は自分の著書の中で、それを「下僕の精神構造」と呼んでいます。

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