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 このブログに何度か書きましたが、今年外国人観光客1億人突破をめざす世界1の観光大国フランスのサービスのクォリティは、けっして高くありません。もともと欧米には強い階層性が存在するので、「サービスは権力か金で買うもの」という考え方が定着しています。

 パリの大衆的なカフェやレストランの接客担当者のサービスの悪さは世界的にも知られています。多くの外国人観光客は、ギャルソン(ウェイター)を呼んでも「ジャリブ」(今、行きます)といいながら、なかなか来てはくれません。それどころか来ない時も多々あります。勘定を払えず店を出られないこともしばしばです。

 義理の弟のミカエルが出たシャンベリー大学観光課ではフランス式の接客について徹底して学んでいるかといえば、そんなことはなく、ホテル経営などには熱心でも、観光サービス業のあり方については観念的勉強しかしていません。

 興味深いのは「お客様は神様」といっても、それは払う金額に応じてサービスの質が変わるという認識で、やみくもにサービスするわけでないことです。合理的フランス人らしい考えです。客に忖度し空気を読んで気を回して過剰サービスする日本とは大違いです。

 時には、高級ホテルやレストランでさえ、頭を傾げる質の悪いサービスをするケースもありますが、基本的にサービスする側とされる側の人間としての関係は極端な上下関係ではないという考えです。それは君主制の残る英国よりもフランスの方が平等感が強いかもしれません。

 私は観光都市の別府市で生まれ、周囲に観光業に関わる人が多い環境で育ったこともあり、観光業の裏側までも普通の人よりは知っているつもりです。世界のどこにいっても観光のあり方は気になるところで、何度も取材してきました。多文化ビジネスの観点からも研究してきました。

 日本では、おもてなしを実際にする側は下僕のようにへりくだって立場でサービスするのが基本です。もてなすのは主人ですが、実は今の日本のおもてなしには主人の顔は見えず、もてなしを受ける側が主人になっています。中国ではもてなす主人が円卓の上座に座ります。主賓は主人の両脇座るのが習わしです。

 日本のおもてなしの強みは、もてなす客の立場に立って何が必要かを忖度し、客が要求する前に必要と思われるサービスをすることです。いわゆる「気を回す」「気が利く」というものです。それも少しでもお金を出す客に平等にサービスすることです。多くの外国人観光客が感動する部分です。

 しかし、相手に要求されなくても悟ってサービスするには、マニュアルではなく、空気を読む必要があります。日本的おもてなしの弱みは異文化の空気は読めない点です。つまり、的外れのサービス、必要ないサービス、迷惑するサービスをしてしまう可能性もあるということです。

 それに気を回すサービスには過剰サービスに陥ることもしばしばです。結果、従業員の過剰労働に繫がり、消耗する結果を生む可能性もあります。日本人同士でさえ消耗している場合が多いのに外国人となると、さらにジレンマやストレスに陥る可能性もあります。仕事の生産性という意味でも問題です。

 日本のおもてなし精神は日本文化が生み出したもので、国民性とも大きく関係しています。主体性が乏しく自己主張しない受け身な日本人は、お世話されることを当然と考えます。外から刺激されなければ、自ら主体的に喜びを求めない日本人は、サービスに対しても受け身です。

 たとえば、新型コロナウイルスで厳選できなくなった大型クルーザーの客が、日本食が食べたいのに西洋的な食事しか出てこないと言っているようですが、さまざまな不都合に対して、乗員に直接要求しているのかは疑問です。日本人は黙ってても必要なサービスは受けられると期待し、期待が裏切られると文句を言ったりします。

 東京五輪でサービス業に関わる人は、多種多様な外国人客を迎え入れ、ストレスも溜まり消耗することも予想されます。おもてなしの強みを強化しながら、弱点を克服するという意味では、的外れのサービスで消耗しないためにも「個別対応」と「聴く力」、「柔軟性」が何より重要です。なぜなら客が必要としていることは多種多様だからです。

 日本人はマニュアル通りに動くのは得意で集団管理(団体客対応)には慣れていますが、個別に対応し、マニュアルにないことも状況に応じて柔軟に対応するのは苦手です。サービスはマニュアルが見えてしまうと効果は半減します。それにサービスの範囲や限度の線引きをしておく必要もあります。

 聴く力は空気を読めない環境では非常に重要です。珈琲が飲めない人に親切心で珈琲で出すような失敗も聞くというプロセスを踏めば避けられます。それにサービスする側の学習能力も試されます。マニュアルにないことは日々起きるからです。その意味で、おもてなし精神への自信は必要ですが過信は禁物です。