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  キリスト教の価値観を強調するハンガリーのオルバン首相

 英国の欧州連合(EU)離脱の行方を左右する英国の総選挙が3週間後に迫る中、2016年の離脱を問う国民投票で、過半数の英国民が離脱を支持した理由の一つが移民問題でした。それも人の移動の自由を認めたEUの原則に従い、ポーランドやハンガリー、ルーマニアなどから仕事を求め、大挙して入国した人々への嫌悪感があったといわれています。

 娘の住むロンドン西部イーリング周辺は中流層の住むエリアですが、ポーランド語しか喋れない人々が自分の町のように住み着く姿に、明らかに違和感を持つ英国人が多いのも事実です。別にイラクやシリアなど紛争地域から来た難民でもなく、合法的に滞在しているわけですが、眉をひそめる英国人は少なくありません。

 EUは2004年から2007年にかけての第5次拡大で、ソ連帝国が崩壊するまで共産圏に属していた中・東欧の12カ国が加盟しました。当時、故シラク仏大統領は「ようやく、われわれはヨーロッパ分断の歴史を終わらせることができた」と感慨深く語ったのが印象的でした。

 ベルリンの壁が崩壊した30年前、中・東欧には共産圏脱却の革命の荒らしが吹き荒れていました。その時、社会人だった30歳の人は今、定年の年齢に達しています。彼らが住む国がEUに加盟したのはヨーロッパにとっては大きな節目でした。

 しかし、東欧共産圏の優等生といわれた東ドイツでは、未だに西ドイツとの格差に苦しみ、他のハンガリーやポーランド、ルーマニアなどの国々では西側諸国への人口流出が止まりません。さらに旧共産圏の人々の多くが西側諸国の人々から3流市民の扱いを受け、惨めさを味わい続けている現状があります。

 イタリア・フェレンツェにある欧州大学院大学の欧州法を専門とするスナイダー教授は、私に「旧共産圏の人々が基本的人権や民主主義、文化の多様性の尊重を理解し、受け入れるのは少なくと半世紀は掛かるだろう」と地道な現地調査を踏まえて語ってくれたのを思い出します。

 最近、何かと話題を振りまいているハンガリーのオルバン首相は、昨年4月の総選挙で反移民、反自由主義(リベラリズム)を掲げて支持を集め、総選挙で再選されました。2015年のシリアやイラクから押し寄せた大量難民に対して国境に鉄条網を作り、ヨーロッパへの入国を阻止したことでも話題になりました。

 そのため移民排撃の極右政治家というイメージが強いわけですが、実は人口流出という頭の痛い問題を抱えるハンガリーで、予算を投じた大規模な家族政策を断行し、住宅購入資金援助などで家族を優遇し、安心して住める国づくりを推進している面もあります。

 その政策を支えるのがオルバン首相が、2015年の移民排斥の時から強調しているキリスト教の価値観です。イスラム教徒の大量流入はハンガリーの国家精神の基盤を侵すとして、断固拒否を表明してきました。同時に国づくりにキリスト教の価値観に基づく家族主義を中心に据える姿勢を打ち出しています。

 支持者の多くは「リベラリズムに反対する」「キリスト教の価値観を崩壊させるリベラルな考えは、ハンガリーには必要ない」といっています。実はベルリンの壁が崩壊した後の1990年代、東ドイツでドイツに定着しているトルコ移民などを排斥するネオナチの運動が台頭しました。

 つまり、共産主義に支配された国々では思考停止が起き、共産主義体制になる前に植えつけられた価値観がそのままフリーズされ、冷戦終結後に解凍されたために、民族主義や古いキリスト教的価値観が目を覚ましたともいえます。彼らは共産主義体制で2世代も過ごし、自由体制に移行する過程で新しい状況を理解するのに、眠っていた過去の価値観を持ち出しているともいえます。

 私は旧共産圏に友人が少なくないのですが、ソ連の圧政化でもキリスト教信仰を捨てず、共産党に入党すれば、いい仕事が与えられるのに信念を貫いた人々を何人も知っています。彼らはキリスト教の価値観が唯一、共産主義から自分を守る手段だったといっています。

 ところがようやく共産主義から解放され、EUに加盟したと思ったら、今度はキリスト教信仰とはほど遠い世俗化と、何でもありのリベラリズムが彼らを待ち構えていたわけです。家族主義を唱えれば、選択の自由から結婚しない人を差別しているといわれ、同性愛は罪だといえば、多様性を認めない排他主義と批判され、戸惑っています。

 これを単に共産主義下でフリーズし、進歩できなかったかわいそうな人たちと見るのか、それとも自分たちが忘れ去った本来のヨーロッパ人の価値観を思い起こさせてくれると捉えるのかという話です。これは結構、重要な話です。宗教が社会の隅に追いやられ、自分の信仰を口にすることもはばかられる西側諸国はアイデンティティの危機にあります。

 無論、難民・移民を助ける弱者救済の精神もキリスト教のコアバリューの一つですが、ヒューマニズムは時に残酷です。大量移民を受け入れたドイツで移民は差別され、ドイツを脱出する人は跡を絶ちません。社会的不具合が生じれば難民、移民への門戸を閉ざし、態度を一変させるのもヒューマニズムです。

 移民を受け入れすぎたフランスでは、イスラム教徒が人口の1割に達する勢いで、大火災に遭ったパリのノートルダム大聖堂の修復も、イスラム教徒の顔色を伺いながらの状況で、フランスがフランスでなくなる日に危機感を持つフランス人は極右を支持しています。

 共産主義体制下で命懸けで守ってきた人もいるキリスト教信仰とその価値観を、中・東欧の人々が捨て、リベルリズムになるのは無理のある話です。それでリベラルで世俗化してしまった西側先進国の人々から3流市民扱いされたのでは理不尽もいいとこというのが彼らの本音でしょう。

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