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 かつて英国では、文法やアクセント、正確な言い回しにこだわる傾向が強く、彼らが違和感を持つ英語には眉をひそめていたものです。一方、移民の国、アメリカは、文法よりコミュニケーションが取れるかどうか、互いに理解できるかどうかが問われ、文法的に、あるいは文学的にひどい英語でも許容する傾向が強かったといえます。

 フランス語へのこだわりが強いフランス人は、文法的にも使われる単語の正確性においても、あるいはアクセントにフランス人が違和感を持つフランス語は受け入れない傾向がありました。有名な話は国際線のフランス人パイロット同士、本来英語しか使えない状況でも、罰金を払ってでもフランス語でしゃべるパイロットが多いことが知られています。

 最も大きな変化をもたらしたのは、ソーシャルメディアの発達とビジネスのグローバル化の進展にあると指摘されています。言葉にこだわってきた英国人がアクセントや文法的に間違っていたとしても、許容するようになったのもSNSの影響は否定できません。今から約30年前には、英国では当時のアメリカの大統領だったブッシュ氏の英語がひどいと本まで出版されました。

 英語の正確さは教養や文化の高さに繋がるという考えが強かった英国も、グローバリズムが進む中、多少、アクセントが変だったとして、あるいは文法的に決定的な間違いがあるとしても、ネイティブでないなら仕方がないと許容度が増しており、寛容になっているのは事実です。

 それに比べれば、フランス語は言葉の構造上の問題や発音の難しさから、ちょっとした間違いでも理解しようとしない傾向があったのが、多少、外国人に開かれてきたのも事実です。英語圏の人以上に言葉の重要さにこだわるフランス人でさえ、寛容さを増しているように感じます。

 SNSでのコミュニケーションでは英語が主流で、フランス語は傍流です。同じフランス語圏の人間同士でさえ、カナダ人やベルギー人のフランス語に対して「変なフランス語だ」と馬鹿にしていたのが、最近は聞かれなくなりました。

 言葉は教養を表し、その人間の見識の高さに繋がっているため、非常に重要です。言葉は実際、非常にパワフルで使い方さえ正しければビジネスの武器にもなります。信頼を醸成するためにも、なるべく、豊かな言葉づかいができる方がいいに決まっています。

 特に異文化では、コミュニケーションの精度を高める必要があり、文化の異なる相手に意思を伝えることは至難の業です。とにかく通じればいいとして、いい加減な英語やフランス語、中国語をしゃべるのは日常生活では支障がないかもしれませんが、ビジネスはそうはいきません。

 日本人も日本語をしゃべる外国人に対して寛容であることが最近は求められるようになりました。その一方で正しい日本語を残していくことも重要です。コミュニケーションツールの発達で劇的編を遂げている世界ですが、人は寛容、自分には厳しくするという原則は変わらないと思います。

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