000_1k758l_5d7a4b7984920_0
  パリ・イタリア文化会館に展示されたレオナルド・ダヴィンチの設計に基づくライオン・ロボット

 今年はイタリア・ルネッサンスの万能の天才、レオナルド・ダヴィンチの没後500年ということで、世界中でさまざまなイベントが開催され、出版物も多数出されています。パリのイタリア文化会館でも今月11日から1カ月間、ダビンチが約500年前に考えた設計図を基に制作された木製のライオン・ロボットが展示されています。

 子供の頃に見たイタリア放送協会が制作したドキュメンタリードラマ「ダ・ヴィンチ ミステリアスな生涯」は、私にあまりにも大きなインパクトを与えました。画家、彫刻家、科学者、医学者と広範な分野で高いクオリティの偉業を残したダヴィンチの飽くなき好奇心は、天才の名をほしいままにした存在です。

 私は1990年代からフィレンツェ通いを続け、ついにダヴィンチが生まれたフィレンツェから40kmのヴィンチ村のアンキアーノ集落を訪れました。トスカーナ地方の起伏のある美しい丘陵地は、モナリザの背景を彷彿とさせるもので、その感動は今でもはっきり記憶しています。

 ダヴィンチは、絵画だけでも聖母子像やモナリザに見られる微笑みは、それまでの絵画にはけっして存在しなった人間の感情を表現したものでした。陰影、立体感を表す技法も完璧なデッサン力に裏打ちされ、筆致をどこにも感じさせず、その場に漂う空気までも表現した作品は後世の画家たちに多大な影響を与えました。

 無論、好奇心の固まりで先進的なものに常に興味を抱き続けたダヴィンチは、様々な失敗もしています。しかし、試行錯誤が優れた作品を産むにはつきもので、ものづくりに携わる人々なら誰でも理解できることです。

 今は連日観光客が押し寄せるフィレンツェのヴェッキオ宮殿の500人大広間の壁画は、かつてダヴィンチとミケランジェロが競作した場でした。ダヴィンチは「アンギアーリの戦い」をテーマに描いたとされますが、今は見ることができません。

 なぜなら、ダヴィンチは当時主流だったフレスコやテンペラではなく、フランドル地方(現ベルギー、オランダ)で発明された油絵技法に挑戦した結果、漆喰の壁面に油絵を描くための下地の技術が確立されていなかったために、蠟の下地が溶けだし、失敗に終わったとされるからです。

 何でも新しいことに挑戦し、実験してみたいダヴィンチの習性は、時として大きな失敗もした例ですが、当時生き残っていた「アンギアーリの戦い」の作品の部分が数人の画家によって模写されました。それを元にさらにルーベンスが模写した作品が、ルーヴル美術館に展示されています。

 本物は、今もヴェッキオ宮殿の壁に隠されているといわれますが、ルーベンスの模写が本当だとすれば、それは何百年経っても感動を与え続ける鳥肌が立つほどの迫力ある作品だったといえます。

 AI時代はクリエイティブな脳のスキルが求められるアートの時代といわれます。ダヴィンチは500年前の前近代的時代にアートと科学、宗教、政治権力さえ自然な形で結びつけた希有な存在でした。空飛ぶ道具から戦争の武器までさまざまな設計を行いました。今の時代にダヴィンチが生きていたら、どんな作品を残し、どんな活動をしていたかを考えるだけでも楽しいことです。

 生涯、子供のような好奇心を持ち続け、人々に感動や驚きを与え続けた生き方は、今の時代にも十分通じるものがあります。無論、それだけの才能に恵まれた人間は、何百年に一人しか出てこないのも事実です。しかし、程度の差はあってもリスクを恐れずイノベーションを繰り返す姿勢は、今の時代に十分に通じるものがあります。

 同時に作品の依頼者とダヴィンチとの関係も興味深いものがあります。依頼主の多くは王侯貴族、聖職者、大商人で、絶対的権力を持つ存在ですが、ダヴィンチは妥協しないことで有名でした。今、当り前になっている依頼主の意向に完全におもねる商業主義からは、アートは生まれないということです。

 無論、ダヴィンチの人生は今だに謎に包まれ、芸術家列伝を書いたことで知られるミケランジェロの弟子、ジョルジョ・ヴァザーリの書き残した物語には怪しいものもあります。ありえない奇跡を記録した作り話も山だったとされる聖人列伝が信じられた時代、何が本当なのか分かりませんが、残された作品は嘘をつかないといえます。

ブログ内関連記事
文系理系の垣根を超えた複数のスキルを駆使できる創造的人材が求められる時代がやってきた
AI時代に注目される人間のクリエイティブな能力と芸術の行方
創造的芸術脳から学ぶイノベーションを促す思考回路とは
未来の仕事のあり方に必要なのは創造性を持つ芸術脳だ