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 火災前の神を賛美する場としてのパリ・ノートルダム大聖堂の荘厳な内部

 今年4月の大規模火災で深刻な被害を受けたフランス・パリのノートルダム大聖堂の再建の遅れが懸念されています。8月中旬にフランス文化省が明らかにしたのは、修復作業には未だ着手されていないという事実です。理由は再建作業を行う安全確保ができていないからです。

 その発表で、懸念されていたことが起きていたことも報告されました。それは身廊、すなわちゴシック建築様式で聖堂入り口から祭壇に向かう通路の交差部に至るまでの焼け残ったアーチ型の天井から石材が落下したことでした。聖堂は上から見ると十字架の形になっていて、交差部の真上には今回焼け落ちた尖塔があります。

 大火災後の現場検証で、当初から懸念されたのは残った建物の側面部分や天井のアーチの崩落でした。ゴシック建築はロマネスク建築に比べ、光を最大限取り入れるために側面の壁は大きなステンドグラスで占められています。強度を補うために骨組みが相互に支え合い、垂直に高く伸びる構造です。逆に言えば、骨組みの一部の欠落は全体を危うくするわけです。

 アーチ型天井の石材の落下原因は、6月下旬から8月にかけてパリを襲った熱波の影響と説明されています。再建作業を行うには作業員の安全確保が第一で、まずは建物の倒壊を避けるための補強工事が最優先ですが、なかなか進んでいません。

 そこに浮上したのが火災時に拡散した鉛の除染作業。作業員の安全確保を理由に7月25日から作業は中断されました。作業中断直前には、鉛汚染の懸念から近隣の小学校と保育所も閉鎖され、近隣住民の不安は今も消えていません。フランスの環境保護団体は、火災で少なくとも300トンの鉛が溶けて大聖堂と周辺を汚染していると指摘していいます。

 除染の範囲は大聖堂だけでなく、火災時に風下だった西と南方向では道路や公園、建物をかなり広い範囲で除染する必要があると指摘されています。鉛汚染が解決しなければ再建修復工事の作業員の安全も確保できません。文化省は年内の修復工事の着手は無理との見解を示しています。

 実はキリスト教における大聖堂はイタリア・ルネッサンスまでは、総合芸術の場でもありました。識字率が低かった当時、人々は聖堂で礼拝を捧げる際、聖堂内に響きわたるパイプオルガンと聖歌隊の歌、参列者の歌、周りを取り囲む様々な聖画や彫刻、ステンドグラスから差し込むカラフルな光の演出が、参列者に異次元の神を感じさせてきました。

 つまり、視覚、聴覚、臭覚にまで及ぶ人間の五感に訴えかける総合芸術で、人々は宗教的陶酔を得ていたわけです。ルネッサンス以降、絵画は絵画の道、音楽は音楽の道と分かれ、再び総合芸術が登場したのはオペラやバレエでした。しかし、内容は宗教的高揚感ではなく、オペラもバレエも禁欲とは無縁の大衆的な色恋をテーマにするものでした。

 かつて総合芸術の舞台となった聖堂は、その役割を終わっているかどうかは分かりませんが、それより気になるのは総合芸術の行方です。今、フランスのポンピドゥ・センター・メスでは、20世紀から21世紀にかけた視覚芸術とオペラの出会いに焦点を当てた「オペラ世界 総合芸術の追求」展(来年1月27日まで)が開催中です。

 「総合芸術」を提唱したワーグナーの歌劇がテーマですが、私は密かに総合芸術の復活を期待している一人です。VRや5G時代の到来と共に3次元、4次元の高度な表現がネット上でも可能になり、時空を超越した新たな総合芸術の手助けになるかもしれません。

 かって総合芸術は人々の信仰心を高め、精神的高揚感を得るために存在したわけですが、21世紀の総合芸術はどうなのでしょうか。人間の五感全てを動員する総合芸術は、デジタルアートに見られるようになりましたが、大聖堂で人々が得たような精神的高揚には至っていません。

 大被害に遭ったノートルダム大聖堂の再建は、歴史的記憶を辿る必要がありますが、聖堂からどんな歴史の声が聞こえてくるのでしょうか。21世紀の総合芸術を考える上で、何かヒントになるものがあるように思えてならないのは私の勝手な妄想かもしれませんが、中世に勝る総合芸術の復活に繋がる何かを期待したいところです。

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