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 フランス人は個人主義者だといわれることが多いわけですが、たとえば同国の伝統的宗教であるカトリックにおいて幼児洗礼は当り前でしたが「自分の信じる宗教を選択できる状況にない幼児(ほとんどは実は生まれたばかりの乳児)に一方的に洗礼するのは個人の選択の自由を無視した行為では」と疑問を投げかける若い神父が表れて議論になったことがあります。

 洗礼はカトリックにおいては教義の中心をなすもので決定的なものです。ある子供が自分の兄弟は全員洗礼を受けたが、最近他界した父親は洗礼を受けていなかったので地獄に行ったのではと心配だと泣きながら、ヴァチカンのローマ教皇フランシスコに直接尋ねたシーンがユーチューブで紹介されていました。

 教皇は「お父さんは自分の子供たちに洗礼を与えた功績で、必ず天国に行ける」と答え、感動のシーンになっています。それほど洗礼を受けたかどうかは重要なことだともいえます。過去には伝統的にほとんどフランスの日常生活で文化になっていたカトリックで幼児洗礼に疑問を投げかける人はいませんでした。

 人々が教会に通わなくなり、神もイエス・キリストも信じなくなった今、宗教そのものが分らなくなってしまっているフランス人にとっては、自分で宗教を選ぶ、あるいは無宗教を選ぶことは、幼児洗礼によって天国に行ける保障が与えられること以上に大きくなっているともいえます。

 伝統とは親から子、子から孫に受け継がれることによって形成されるわけですが、神の前に人間は同じ価値と権利を持つというキリスト教から生れた基本的人権は今、極端な政教分離によって「神の前に」という部分は、限りなく消えつつあります。

 各国に根付いた精神文化はグローバル化の中で試練に直面しているわけですが、それは経済活動において異なる文化的背景を持つ人がチームでパフォーマンスを出すことが求められる時代に入っていることとも関係しています。

 日本も国内外で状況は大きく変わろうとしていますが、日本で受け入れた外国人には従来通り「日本のやり方」を一方的に押しつける例が多く、アウェイである中国や東南アジアなどでも、相手の文化を軽視しながら日本方式を教えようと必死になっている例は少なくありません。

 無論、特に製造業では日本には優れた生産システムがあり、高い品質の製品を大量生産するノウハウが蓄積されています。しかし、そのシステムは、日本の職人文化や、几帳面で勤勉、器用な日本人が作り上げたもので、どの国の人には同じ基準で適応できるものでなく、なかなかいい結果を出せない場合もあります。

 それ以上に問題なのはチームで結果を出すことです。特にアジアの高度な技能保持者やホワイトカラーの多くが、日本では働きたくないという統計数値が近年、目につきます。理由は転職が前提の彼らは、スキルアップやキャリアを重視しており、集団主義的な日系企業では、ホワイトカラーのマネジメントスキルやリーダーシップが独特すぎて将来性を感じないからです。

 自分がどのようにスキルアップが日々実感できるか、納得のいく評価が得られているか、人事に公平性や人種の平等性、人権尊重はあるのかというと、日系企業は上から下への一方通行の文化を変えておらず、日本人と外国人は明確に分けられています。さらにはライフワークバランスが先進国の中で極端に悪いことも魅力を失わせています。

 時代は、地域や場所を選ばないグローバルなプラットフォームの上で展開する時代に入っています。しかし、もともとキリスト教という普遍性価値観を共有してきた欧米先進国は、プラットフォームの共有が容易なのに対して、日本は文化的特殊性が足かせになっている部分もあります。

 その一方で新興国の人々は、そのグローバルなプラットフォームを受け入れることで発展しているので、多文化で地域や国を選ばない多文化チームで働くことにも積極的です。自己完結した日本は頭でビジネスの状況変化を理解していても、現実的には超ドメスティックな発想をなかなか抜け出せないのが現状でしょう。

 ただ、多文化チームで仕事をする状況は、ますます増えていでしょう。実際に自分のデスクの隣に外国人が座っていなくとも、現実には海外にいるアメリカ人や中国人、インド人とコミュニケーションをとりながら協業する状況は増える一方です。

 彼らがキリスト教徒であろうが、ヒンズー教徒であろうが、共産主義者であろうが、ビジネスに深刻な影響があるわけではありません。しかし、文化的共有ができない状況での協業に課題がないわけではありません。テクノロジーでグローバル化の先頭を走るIT業界はそれを軽視した結果、失敗している例も少なくありません。

 特に今は個人の自由と権利が世界中で強調されており、個人を尊重できないような文化を持つ企業は将来性がありません。そこで重視されるのは、その個人があるプロジェクトでチームに参加した場合、チームの背後にある企業の利潤追求は当然ですが、参加する個人は何を得られるのかということです。

 徒弟制度の職人文化の日本では、下積みにも意味を感じ、薄給でも長時間労働でもなんとか耐えられ、終身雇用だった日本はそれで芽が出なくても、どこかの子会社で生涯を面倒見てくれる温かさがありました。しかし、今はは芽の出ない人間を雇い続ける余裕もなくなっています。

 外国人もチームでモチベーションを上げるのは愛社精神や会社への忠誠心ではありません。無論、その会社に居心地の良さを感じれば、愛社精神も芽生えるかもしれませんが、それをマネジメントの背骨に据えることはできません。

 つまり、多文化チームで結果を出すためには、会社や組織全体の目標を示すだけでなく、そのプロジェクトに関わり、結果を出せば、どのような個人のスキル向上に繋がるのか、何を個人は得られるのかということを明確に示す必要があるということです。結果としてチームと個人それぞれを評価する基準を設ける必要があります。

 つまり、チームと個人がWin Winの関係であることが求められるということです。転職文化が定着していない日本では、大企業は新卒採用、正社員制度にこだわり、その一方で終身雇用で支えられない部分を覇権制度で補っているのが現状です。外国人材の有効活用で日本企業の進化を願うばかりです。

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