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       2013年の仏日刊紙リベラシオンの表紙

 私が教鞭を執っていたフランス西部ブルターニュ地方レンヌにあるビジネススクールの卒業生で私の教え子のローランは、ロンドンにある金融機関に勤め、不自由なく仕事をこなしています。不自由なくというのは彼の英語力が高いからです。

 彼とロンドンで会った時「自分がビジネススクールの3年間、英語漬けだったおかげで、フランスの他のビジネス系大学院の卒業生より、ロンドンで高い評価を受けている」といっています。リーマンショックの時も、非英語圏出身の従業員から解雇されていったのに、彼は生き残ることができました。

 私が教鞭を執っていたビジネススクールでは、グローバルビジネスの標準語は英語として7割の授業を英語で実施しており、インドなどの英語圏の学生も多くいました。フランスは通常、フランス語以外の言葉を公の場でしゃべるのは違和感を持たれるものですが、学内では大手を振って英語でしゃべる特殊な環境だったといえます。

 今やビジネスにおいて、フランスでさえ、多くの職場で英語能力は必須となり、その状況は変わる気配がありません。フランス人男性と結婚した私の友人のロザリンは、企業向け英語学習サービス会社を立ち上げ、大成功しました。「英語の需要はブレグジットとは関係ない」といっています。

 同じ大学の同僚だった英国人のマイケル・ワード教授は「私は非常に恵まれた国に生まれたと感謝している」といっています。彼の妻であるフランス人から英語をマスターする苦労話を何度も聞かされたとそうです。彼女の姪っ子は最近、パリの大学を出て就職したばかりの米系IT企業で、初めて出た会議で皆が英語でまくし立てたのをまったく理解できず、背筋が凍り付いたそうです。

 無論、日本語を母国語とする人間からすれば、発音は違っても共通単語も多く、英語とフランス語は親戚のような言語です。日本語も堪能な私の妻は、アメリカにも長かったのですが、日本でテレビを観る時は日本語のニュースよりも英語のCNNを見る方が圧倒的に楽だといいます。

 私の経験からは、フランス人は日本人より、英語のヒアリング能力は、はるかに高いといえます。ところが彼らの最大の英語コンプレックスは発音です。確かにフランス人の英語の発音は独特です。マクロン大統領の英語も日産のゴーン前会長の英語も、強いフランス語のアクセントがあります。

 一生懸命英語を喋ろうとするのに、ついフランス語の発音が飛び出し、ベリー・インポータントをべりー・アンポントン、ガヴァメントをグヴェルマンなどといってしまいます。

 一緒に仕事することの多い元フランスの国会議員で、政治家や官僚を輩出するパリの政治学院卒の友人も、ビジネス交渉の現場で英語を使うのは避けようとします。フランス語と英語の完全バイリンガルな人間がいる場合は「フランス語で話そう」と必ずいいます。特に彼は英語をネイティブとする人間との英語の会話は極端に避けようとします。

 フランスのルモンド紙は最近、「英語ができなくて職場で苦しむフランス人」という記事を掲載し、フランス人が英語で大きな心理的プレッシャーを受けている現状を浮き彫りにしました。

 フランス政府は2013年、高等教育機関でのフランス語の使用義務を緩和し、英語による授業を事実上解禁する法案制定に踏み切りました。背景には1994年のフランス語使用義務を定めた通称、トゥーボン法があり、その縛りを緩和したわけです。

 フランス人のフランス語へのこだわりは非常に強く、時の文化相だったトゥーボン氏が中心となり、教育現場、国内で開かれる国際会議や放送、広告など公共の場でのフランス語の使用を原則義務付ける法律が定められました。導入後、英語で定着している「ウィークエンド」などをフランス語にするのか議論が広がり、結局、徹底した実施は今に至るまでできていません。

 例外は外国語による授業が必須な語学学校や外国人教員による授業でしたが、私が教鞭を執ったビジネススクールのようなエリート養成のグラン・ゼコールでは、1994年以降も英語による授業が頻繁におこなわれても批判されませんでした。実際、政府が法改正に踏み切ったのもフランス語がネックで外国人留学生が増えない現状を打開する狙いもあったからです。

 この2013年の改正の時も反対派はいました。フランス語擁護派の急先鋒、コレージュ・ド・フランスのクロード・アジェージュ氏は「大学の問題は授業の英語化ではなく、教育の質の問題だ。質が良ければ外国人は自らフランス語を勉強してフランスの大学に来るだろう」と主張し「なぜ伝統あるフランスの大学が英語に合わせなくてはいけないのか」と強く批判しました。

 さらに英語の授業導入は、世界で約60か国で使用される「フランス語圏の国々に対する裏切り行為」と指摘しました。しかし、あれから5年以上が経ち、実際、フランス人の職場や生活環境に英語が占める割合は増える一方です。

 問題は英語の拡大ではなく、それによってフランス語が崩れることだと指摘する専門家も少なくありません。たとえば、極右・国民戦線を創設したルペン氏のフランス語は完ぺきといわれています。いっている内容はともかく、フランス語の伝統的な言い回しや文法は完璧です。

 ルペン氏の友人で同じパリ政治学院の卒業生の私の友人から受け取るフランス語の手紙やメールに、ほれぼれすることがあります。そこには高貴ささえ漂っていて、改めて言語の大切さ、言葉の力を痛感させられます。

 「フランス人はプライドが高いので英語は喋ろうとしない」と半世紀前からいわれてきました。フランス語にプライドを持っているのは確かですが、喋らないのではなく、喋れない場合も多いのが現状です。無論、英語を喋る一般の日本人の割合よりは、はるかに高いのですが、彼らは発音の悪い移民のフランス語も軽蔑するほどフランス語に完璧を求めるので、自分たちの英語のフレンチ・アクセントにも恥じているわけです。

 フランス語の保存と純化を司る国立学術団体アカデミー・フランセーズは、英語の拡散にはもちろん反対です。その 一方、エリートを養成するフランスの高等機関、グランドゼコールの多くで、すでに広く英語やその他の言語を使用しているのも事実。フランス語へのこだわりを「過去の植民地時代の悪しき態度」と批判する人もいます。

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