35049971622_12fb147c9a_b

 某大手日系企業のIT部門で働く中国人女性が「日本人がこれほど間違った中国情報を信じさせられていることに驚いた」と私に語ったことに衝撃を受けたことがあります。彼女は北京の大学で日本語を習得した優秀な理系女子で、日本で働き初めて5年が経っていましたが、考えは変わっていないようです。

 今月4日、天安門事件から30年を迎えた北京の天安門広場は、事件を追悼集会を警戒し、日頃の何倍もの厳戒態勢が敷かれています。全国に拡がった民主化運動に対して、中国共産党政府は天安門だけでなく、全国300カ所で武力鎮圧を実行し、その犠牲者の数は未だに公表されていません。

 中国内のネットで1989年6月4日を意味する8964などのキーワードで検索しても、何もヒットしないよう制限され、政府の言論統制ぶりは徹底しています。30年といえば1世代が変わる長さです。政府が完全封殺した天安門事件について35歳以下の中国人は存在すらしなかったことになっています。

 街頭で世界のメディアの記者が天安門事件について聞いても「知らない」と答えていますが、実際、本当に知らないのか、それとも知らないことになっていて触れることを恐れているのか分かりませんが、多分、本当に知らない可能性もあります。

 ここまで徹底した言論統制を敷いている理由は、天安門事件が中国共産党にとって、過去最大のトラウマになっているからに他なりません。つまり、中国共産党による統治が最も危機に瀕した出来事だったからです。習近平政権が、ナショナリズムに大きく舵を切った根本原因でもあると思われます。

    私個人はベルリンの壁が崩壊する3カ月前の東ドイツやゴルバチョフ時代末期のソ連を取材した経験があり、差し迫った経済的危機により国民の不満が爆発しない限り、国家がイデオロギーや宗教で国民の言論統制を行い続けることは可能な現場を見てきました。

 天安門事件を主導した指導者の一人でアメリカ在住の劉剛氏は「一度味わった自由の甘い味は絶対に忘れられない」といいますが、果たして当時学生だった彼らが、本当の意味で自由を味わったのでしょうか。今、豊かになった中国人は大挙して自由世界に留学し、旅していますが、当時高まったような民主化運動は起きていません。

 たとえば、シリアやイラクの紛争から逃れた難民や移民たちが、ドイツやフランスで生活を始めてもイスラム教の信仰を棄てたり、キリスト教に改宗する人はほとんどいません。かつて20年以上前に大挙して日本に来たイラン人も帰国すれば、イスラムの慣習に従っています。

 ソ連は70年間、鉄のカーテンで閉ざされていましたが、多くの人は共産党政府に従い、反政府的言動は慎みながら、言論統制の中で暮らしていました。70年というと、まるまる2世代が回ったことになります。つまり、自由の甘い蜜を味わったからといって、誰もが自由を求め、統治者に反旗を翻すわけではないということです。

 豊かになれば人は自動的に自由と民主主義、人権が尊重された世界を求めるというのは、勝手な妄想に過ぎません。イランに住む熱心なイスラム教徒の日本人女性は、全身を覆うブルカを羽織っている方が、神と夫に対する忠誠を誓う美しい精神でいられるといっていました。

 無論、14億の国民を言論統制するのは容易なことではないでしょう。哲学者の故梅原猛氏は天安門事件後、私に「中国は広すぎ、共産主義のようなイデオロギーがなければ統治は難しい。将来は国を分割するしかないのでは」といっていましたが、その後は中国共産党による統制が強化され、現在に至ったいます。

 文化大革命、改革開放経済、天安門事件、その間の陰惨な権力闘争などを経て、今は世界第2位の経済大国だと豪語しながら、アメリカと対峙する中国ですが、彼らを正しく読み、今後、どうなっていくのかを予想するのは非常に難しいといえます。そんな中国に多額の投資を行ってきた日本も、そのカントリーリスクを常に見据えておく必要があります。

 来年のアメリカの大統領選挙で、たとえトランプ氏が再選されなくとも、アメリカの対中強硬政策は続くことが予想され、米中貿易戦争は長期化する可能性が高そうです。互いに譲れない価値観の上に立脚する両国の対立は世界を2分する可能性があり、「豊かになれば民主化する」という欧米の勝手な妄想も通用しそうもありません。

 天安門事件から30年を言論統制で乗り切った中国を見て、われわれは、これまで以上に中国を理解したのかもしれません。多くの血が30年前に流された天安門広場で、観光客がスマホで無邪気に自撮りする姿は印象的です。本当に臭いものには蓋をしたままで済まされるのか、深いため息が出る光景です。

ブログ内関連記事
天安門事件後の中国の芸術はどう変わったのか
劉暁波氏が死去、日本、欧米のダブルスタンダード
米中貿易戦争の長期化で世界の工場の立場を失っても中国がこだわるものとは
赤い社会主義ユートピアをめざしたソ連のプロパガンダと芸術の運命