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 当時のポール・フレール氏の自宅はニース郊外の小高い丘の上にあり、インタビューの前に、自宅を一通り案内された。何でも築二百年の家だそうだが、成功者だけに許される南仏の優雅な豪邸のようで、プールの前で彼は微笑んでいた。

  ベルギー人のフレール氏は、フランス語や英語を初め、数カ国語を操り、実にインターナショナルな人物だった。ヨーロッパでは、ベルギーは小国なため、彼らは、語学力だけでなく、さまざまな能力を身につけて生きてきた。ベルギー人は商才と手先の器用さに恵まれていることでも有名だ。

  優秀な彼は、ドライビング技術を物理の法則になぞらえて説明したりして、その知的アプローチがインテリ好きの日本のクルマ愛好家にも好感が持たれた。

  当時は、ヨーロッパでの運転経験は少なかった。パリで生まれて初めての運転免許を取得して数年しか経っていなかった。そんな自分が、クルマのプロフェッサーと呼ばれ、クルマの真髄を究めた人物に会っていることが場違いだったのかもしれない。

  だが、フレール氏は実に気さくに、何でも質問には答えてくれた。撮影のために持っていったハッセルに満足げで、何度もポーズをとってくれた。彼の書斎の光景は、今でも目に焼きついている。

  帰り際に、玄関前に何台ものクルマが置いてあるのを指して「新しいクルマが出るたびに、メーカーが勝手に置いていくんだよ」と苦笑していた。

  クルマにとりつかれた少年のように饒舌に語る姿と、空港に向かう彼のクルマの中で見た、ハンドルを握り続けた彼の大きくてゴツい手が印象的だった。

写真 1956年ルマン24時間レースで事故後にピットに戻ったポール・フレール