westminster-717846_960_720

 英国のメイ首相は、自分の退任と引き換えに欧州連合(EU)と合意した離脱協定案を下院議会が承認するよう求めました。日本的には自らを犠牲にしてでも協定案を通し、合意なき離脱を回避しようという捨て身の潔い態度といえますが、英メディアはこぞって、それでも議会承認は不透明だと指摘しています。

 大陸欧州からみれば、ブリュッセルの欧州委員会にせよ、ストラブールの欧州議会にせよ、「英国ではいったい何が起きているのか」「わけがわからない」という受け止め方が一般的で、肝心の英国メディアでさえ、納得のいく現状解説ができていないのが現状です。

 英議事堂の前では連日のように、国民投票のやり直しを訴える集団が集り、署名の数も急増しましたが、やり直しは政治不信を高めるとの判断で実現する可能性は低いとみられています。ならば総選挙を実施して、労働党に政権が交代すれば事態は変わるという案もあるものの、今の労働党が政権を担えるかも疑問視されています。

 EU側は、他の加盟国が離脱へ動く懸念もあり、離脱を諦めて英国に残留して欲しいとの意見が多数を占めるため、離脱で生じるダメージを最小化し、将来の英国との関係をウィン、ウィンにするのは、今の協定案しかないと考えています。

 そもそも国民投票は、弱気のキャメロン前英首相が国の運命を左右する離脱の是非を議会で問う自信がなかったことから責任逃れで実施したとの批判もありました。しかし、私なりの分析では、その後の混乱は、政治家が明確なビジョンを示せず、リーダーシップをとれていない一方、国民の意向をくみ取る感性を失っていることから起きていると見ています。

 たとえば、国民投票=国民の意向とすることは、理に適っているいわれますが、離脱の是非を問う国民投票では、48%が残留を支持しました。メイ首相は本来、残留支持派でしたが、キャメロン氏辞任後、国民の意向が離脱なら、完全な強硬離脱を実現するして首相に就任しました。

 ところが政権基盤を強化しようとした2017年の前倒し総選挙では思惑が外れ、与党・保守党は12議席を失い、逆に残留派だった労働党は30議席も増やす結果になりました。保守党は来たアイルランド民族統一党の閣外協力でなんとか与党の座を守った状態です。その民族統一党は来たアイルランドの国境問題で協定案に反対する立場を崩していません。

 つまり、総選挙は離脱が国民の意志とはいえない結果をもたらしたことになります。国民投票の翌年の総選挙で、この有り様ですから、議会がその後、今日に至るまで揺れ続けたのも当然です。メイ首相が何度もいった国民投票による離脱勝利=国民の意向とはなっていない現状が透けて見えます。それにメイ首相の総選挙の読み誤りは、国民の本当の意向を読む感性がなかったためでした。

 議会制民主主義は直接民主主義と違い、代議員制なので各議員が国民の多種多様な意見を代表する前提で運営されています。ですから、議員が国民の意向を読む感性を持たなければ成り立たないシステムです。その一方で、一般市民が理解できない高度な知識と判断能力を要する法案の検討には、議員に高い見識や判断能力が求められます。

 その意味では、長年、強い階層社会を維持してきた英国では、政治はエリート政治家とエリート官僚に委ねられてきました。たとえば離脱強硬派の代表格でオックスフォード出身のボリス・ジョンソン前外相が根拠の怪しい離脱論を展開しても、労働者階級の人々は簡単に信じました。

 EUはユーロ圏、とりわけドイツが圧倒的に得をするシステムで「EUの目的は本質的にはアドルフ・ヒトラーと同じ」と離脱強硬派のジョンソン氏は主張するとともに、EUに帰属する以上、流入する移民を管理できず、英国人の職が奪われ、イスラム過激主義がはびこると訴えました。

 ところが彼を含む強硬離脱派は、EU残留の弊害を主張する一方で、離脱後の明確なビジョンを提示はしませんでした。離脱すれば英国は必ずうまくいくとだけ言っていたので、離脱協議では完全離脱を主張する一方で、離脱後のEUとの関係について明確な道筋は示されていません。

 国民投票の結果については、専門家たちからグローバリズムへの危機感が指摘され、反移民、反EUのポピュリズムが大きな影響を与えたと分析されています。もともと大陸欧州が進める多国間主義や社会民主主義への反発があった英国民には離脱は説得力があった一方、その支持者たちは数で上回る白人、老人、労働者階級でした。

 今、メイ首相の指導力を問う声が高まっていますが、その理由はメイ首相が保守党内の分裂を収拾できないからです。しかし、保守党内の議員が、今もどれだけ国民の声に耳を傾けているのかは大変疑問です。無知な国民は黙っていろというエリート意識が、離脱派、残留派議員双方の中に見え隠れします。

 ジョンソン氏が国民投票時に主張したプロジェクト・フィアーという言葉あります。残留派がEU離脱には大きなリスクがあると有権者に恐怖を与えているという意味です。しかし、彼が主張していた「EUの本質はヒットラー」「テロリストを増やしている」という主張も恐怖心を与えるものでした。

 今、国民は当時に比べれば、冷静さを取り戻し、私の英国の友人たちは「今の混乱は英国の恥だ」と言っています。しかし、英国に習って議院内閣制を導入した日本も離脱問題はないにせよ、政治家が国民の意図をくみ取る感性や明確なビジョン、高い見識という意味では対岸の火事とはいえないのではないでしょうか。

 SNSでさまざまな情報が拡散し、民主主義のあり方そのものが問われる今、ネガティブな情緒に流されやすい危険なポピュリズムに陥らないためにも、メディアが読者におもねない正確な客観性を持った質の高い情報と多様な意見を提供し続けることが必要だと思います。

ブログ内関連記事
英EU離脱期限まで1週間 延期はその場しのぎの問題の先送りにすぎない可能性
残された3つの選択肢 議会制民主主義への不信と危機を誘発したブレグジット・クライシス 
なぜ先進国の民主主義は膠着状態を脱することができなくなっているのか
急ぎすぎた欧州統合がブレグジットやポピュリズムを生み出した