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   自転車が道路の真ん中を走り、歩行者は赤信号でも横断歩道を渡るパリ

 パリやロンドン、ベルリンの町の歩道を歩くことに慣れると、東京では自転車に恐怖を感じることがあります。東京に行ったことのあるヨーロッパの友人たちも同じ経験をしています。後ろから凄い勢いで電動アシスト付きの自転車が走ってきて、危うくぶつかりそうになることは誰もが経験していることでしょう。

 ところが、その自転車に乗っている人も車に恐怖を感じながら走行しており、車を運転している人は自転車などの2輪車を危険に感じているのが実情です。パリ市内では自転車が堂々と道の真ん中を走ったりしています。地方都市では週末、サイクリングを楽しむ集団が道路を走っていると車は彼らを追い抜かずに徐行している姿をよく見かけます。

 自転車が邪魔でクラクションは鳴らそうものなら、フランスでは怒鳴られます。そこには自転車も車も道路を走る権利があり、強者の立場にある自動車は弱者の立場にある自転車に特別な配慮しなければならないという考えがあるからです。パリ市内の通勤で自転車を利用し、郊外でトライアスロンのトレーニングをする義弟のミカエルは「自動2輪より安全」といっています。

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 パリではほとんどの歩行者が横断歩道の赤信号を無視し、車が来てなければ、渡るのが普通です。隣のドイツでは日本同様、車が1台も通っていなくとも赤信号を守っています。パリで私の目の前で、高齢の女性が杖をつきながら、赤信号を無視して横断歩道を渡ろうとして、車が近づいた時、なんとその女性は杖で車を叩いて「危ないじゃないの」と叫んでいる光景に出くわしたこともあります。

 ドイツ人もフランス人も規則を作ることは重要と考えていますが、ドイツ人は日本人同様、定めらた規則をしっかり守ることを重視し、フランス人は規則の目的を理解し、規則の根拠となる状況がない場合、すなわち車が横断歩道にまったく近づいていない状況では、歩行者は規則を守る必要はないと考えるわけです。

 深夜、フランス人の友人の運転で車に乗っていたら、彼は赤信号をまったく無視していました。聞けば「夜の方がライトで車が来ていることは分かりやすいから、注意さえすれば信号を守る必要はないだろ」といって驚かされたこともあります。無論、その判断が正しいとも思えませんが。

 規則をどう解釈し守るのかはともかく、ヨーロッパで感じることは、弱者は強者から守られるべきという考え方です。弱者・強者の公道での順番は、歩行者、自転車、自動2輪、乗用車、貨物車でしょう。歩行者は他に比べ、圧倒的に弱い立場なので通常、歩道を作って守られています。

 さらに鉄の固まりである自動車や自動2輪に比べれば、自転車は弱い立場ですが、歩行者に対しては強い立場です。すでに日本では自転車と歩行者の衝突事故で死者も出しています。無論、自動2輪は車に対しては弱い立場ですが、エンジンを搭載している分、同じ立場といえます。

 歩道での自転車事故の多さから日本でも歩道の幅が狭い場所では、自転車の走行は禁止されていますが、ほとんど守る人はいません。自転車に乗る人にいわせれば車の走行車線を走るのはもっと危険だといいます。それに車には厳しい道路交通法がありますが、自転車は免許制でもなく、道交法など知らずに走っています。

 私は弱者は強者の横暴から守られるべきというのは非常に重要な考えだと思います。逆に言えば強者は弱者を保護する義務があるということです。その意味ではヨーロッパ諸国も帝国主義時代、弱者である植民地の人間を奴隷化し、人権をはなはだしく蹂躙した過去もあります。今もセクハラ問題で弱者の人権が冒されています。

 日本も中国や韓国で、彼らがいうほどではないにしろ、横暴な振る舞いをしたことは確かです。ヨーロッパ諸国よりインフラ整備や教育で多くの投資を植民地にした日本ですが、結果は感謝よりも恨みを買い、今でも苦労しています。

 現在、日本企業はアジアに多大な投資を行い、特に東南アジアでのローカリゼーションが進み、地元国民に愛される企業になることが求められています。彼らは日本に比べれば弱者です。単に労働コストが安いという理由だけでビジネス拠点を誘致し、さらにコストの安い国があれば、全員を解雇して移動していくような考えではローカリゼーションはできません。

 アジアでは、労働コストや流通アクセスというビジネスの合理性だけでなく「その国のために自分たちは何ができるのか」を考える企業が成功しています。戦後、日本政府は戦争の賠償という側面もあって莫大な投資を企業と共にアジアにしてきたのも事実ですが、強者の義務が単にお金ではないことに気づく日々です。

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