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 私自身子供の頃から絵を描き、長年、美術時評を書いてきた経緯から、一見縁のなさそうなビジネスの世界と芸術の世界には深い関係があることに気づくことがあります。たとえばビジネスの世界では、人間の生活を豊かにする画期的な製品やサービスを提供すること大きなテーマです。

 そのためには技術革新が欠かせないとされていますが、画期的というからには、今まで多くの人が当り前としてきたパラダイムを根底からひっくり返すようなシフトをもたらすニューパラダイムの提示が必要です。それも人類が未経験な領域、誰もがやっていないものです。

 これを見つけられた人が成功者になり、人間の生活に画期的改善をもたらすことになるわけです。だからノーベル賞級の学者の多くは「誰もやっていないことに挑戦しろ」というわけです。しかし、それはリスクを伴う懸けでもあるため、多くの場合、怖いもの知らずでギャンブル好きのアメリカで技術革新が起き、ビジネスの成功にも繋がっているわけです。

 今でも個人的に尊敬しているソニー創業者の1人、故井深大氏の残した言葉は今日にも大きな意味をもたらしていると私は思っています。たとえば「『デジタルだ、アナログだ』なんてのは、ほんと道具だてにしか過ぎない。これは技術革新にも入るか入らないくらい」という発言には本当に深いものを感じます。

 なぜ、そう思うかというと、芸術の世界がそうだからです。西洋音楽は楽器や演奏場所の改良という道具立ての進化があり、西洋美術は描く画材の進化があるわけですが、芸術も目的は科学が登場するまでは、人々のキリスト教の信仰を強化するためのものでした。つまり、技術は宗教とか権力の道具だったわけです。

 宗教と科学が交差するルネッサンスの15世紀から16世紀を生きたダ・ヴィンチは絵画職人であると同時に、さまざまな実験を行い、同時代に生きたコペルニクスは天動説を否定し地動説を説き、まさにそれまでの常識を完全に覆すニューパラダイムをもたらしました。

 宗教と科学の長い葛藤の末、それまで宗教が説いていた誰も説明不能な神による天地創造説は進化論の登場で影を潜め、死人が生き返るようミステリアスな奇跡の数々もありえないとするようになり、それをいち早く形にしたのが、先見性の優れた感性を持つ芸術家たちでした。

 科学によるパラダイムシフトは産業革命をもたらし、宗教は隅に追いやられましたが、20世紀後半には、人間の「心」を隅に追いやった物質中心主義への疑問が生まれました。21世紀に入っての最大の技術革新は、人間のコミュニケーション手段を変えたツールの登場ですが、実は画期的なパラダイムシフトが起きているわけではありません。

 先見性に敏感な芸術の世界から見ると、たとえばAI技術を含むデジタルアートがありますが、それは単に道具立ての問題であって、一時的に非日常的な幻想空間を体験ができるだけで、科学と物質主義から抜け出すほどの革新的なものではありません。それに人間の人生を根底から変えるものでもありません。

 つまり、ルネッサンス期までを支配したのはフレスコ手法やフランドルの油絵手法という技術ではなく、宗教という人の心を支配する世界観、自然観だったように、ハードではなく、ソフトの中身が問題だということです。私は、そのソフトの中身は本質的には一過性ではない持続可能な喜びの世界と考えています。

 多くの美術専門家たちが21世紀の芸術の迷走を指摘しています。車でいえば、モーターショーに登場する超モダンなコンセプトカーが10年後、20年後の量産されるモデルになるように、芸術は50年、10年先を見通す力があると私は思っていますが、今は20世紀に一度破壊した既存芸術を建て直す次が見えていない状況です。

 その原因の一つが、科学主義から抜け出せず、心を中心に据えることが難しいからだと私は考えています。その意味で天動説を覆した地動説ほどのパラダイムシフトを起こすビジネスモデルも登場しておらず、「世界を変える」と息巻くIT企業のヒーローたちの軽薄さにもがっかりさせられます。

 鍵は人間の肉体を喜ばせる技術やサービス、芸術ではなく、人間の心を本質的豊かにしてくれるものが登場することですが、今の現状は物質と肉体にシフトしすぎているということでしょう。意識にも登らない固定観念を疑い、人類未踏だが、なぜか懐かしいソフトを提示できるかが最大の課題だと私は密かに思っています。

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