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 個人の権利を重んじる個人主義の欧米社会に比べ、日本は長年、集団の規律を最優先する考えから、個人の欲望を制限しながら、集団の調和を保つことを教育の中で重視してきました。それは日本で個性重視が叫ばれて30年以上経っても、それほど変化していません。

 相変わらず企業側は社員に対して組織への忠誠心を期待し、期待される社員は30代以上であれば、それに答えるのは当然と考え、それ以下だと形の上では「会社に貢献したい」などといいながら、心は冷めている場合が多いといわれています。

 無論、大企業でも倒産したり、買収されたりする時代、終身雇用も崩壊しつつある中で、会社への忠誠心は確実に弱まっているのも事実。また、日本人の精神文化にあった報恩思想も失われつつあり、雇ってもらっている会社に仕事でお返ししようという考えも薄まっていく傾向にあります。

 一方、個性重視が叫ばれながら、なぜ、それがうまく機能しなかったかといえば、個性を強調すれば、皆が勝手に動き出し、集団の規律が失われ、日本の専売特許であるチームワークも崩れてしまうリスクがあったからです。

 それはたとえば、1990年代に成果主義を導入したら、職場の同僚が全て競争相手になり、殺伐とした職場と化し、チームワークを大きく妨げたことに似ています。成果主義はその後、さまざまな改善をしながら今日に至っていますが、個性重視はこれといった解決策がないように見えます。

 ダイバーシティーや多文化協業のシナジー効果が強調される昨今、肝心の足元では、超ハイコンテクストの同質社会で、人と異なることそのものを否定的にとらえがちな日本では、個性を生かすことには苦戦しています。

 個性重視で日本の組織が恐れるのは、集団の秩序の破壊ですが、その秩序は縦社会に由来し、それも部下が上司に「仕える」という暗黙のルールで成り立っている。やりたいかどうかではなく、自分を否定してでも上司のためにやらなければならないという、個人のモティベーションを無視した精神文化が潜んでいることです。

 そのため、上司に恵まれれば、そのモティべーションも殺さずに済むわけですが、恵まれなければ義務感だけで仕事をすることになり、個性重視とはほど遠い職場環境になってしまいます。

 実は個性の意味が日本では、間違って捉えられていることが個性重視と集団の規律のコンフリクトを生んでいる気がします。個性が強調されると協調性が失われるという考えは、個性が重視されると周りに自分を合わせられれなくなり、問題が発生するという理屈です。

 しかし、本来、個性は人間に備わった特性で、世界中に同じ顔の人が存在しないように、個性があるには自然な状態です。個性重視で集団が崩壊する本当の理由は、個性が自己中心と結びついた時です。

 多くの仕事は共有している目標に向かう共同作業です。個性重視は、その前提なしには存在しません。チームの規律を破壊しているのは個性ではなく目標を共有できていないことが原因である場合が多い。今の日本の若者の自己中心は、消極的自己中心で自分以外に関心がないというケースが多く、自分のこと以外考えられない幼さにも見えます。

 つまり、個性というよりは消極的自己中心が組織を弱体化させているといえます。逆にいえば、目標の徹底共有とチームへの個々の主体的参加があれば、個性重視は集団の秩序を破壊しないということです。個人の自由を保障しながらも集団で結果を出すわけですから、個々人の積極的関与が必要です。

 個性を重視することと我を通すことは別の問題です。より良い結果を出すために貢献するという精神、コミットメントを養えば個性は危険なものではなく、非常に有効に働くということです。

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