大きな利益をあげ続けていた既存の産業やビジネスモデルが、進化するテクノロジーによって、一挙に様変わりしてしまうディスラプション(破壊)が起きる時代、企業は根本的な戦略の見直しとイノベーションを迫られることが多い時代に突入しています。

 最近では、米Uber(ウーバー)の配車システムが、世界のタクシー業界を激変させ、既存のシステムで働くタクシー業界は保身のために政府に救済を求め、新たな規制やウーバー追放に動いています。デジタルディスラプションの典型例は、カメラのフィルムでフィルム産業は業態そのものの変更を余儀なくされ、富士フィルムは化粧品で利益をあげています。

 技術大国を自負してきた日本は「新しいテクノロジーが市場を征す」という考えが強く、イノベーションとは新しい機能を持った製品を開発することと思い続けてきた側面があります。結果、より高機能、多機能製品に固守し、市場ニーズとはズレたオタク・エンジニアたちの自己満足的進化に陥った面もあっります。

 残念ながら、その技術は過去よりはるかに簡単に誰でも入手できる情報化時代になり、後発の韓国や中国に簡単にコピーされ、「テクノロジーのイノベーション神話」を崩壊させています。

 テクノロジーのイノベーション神話から脱するためには、イノベーションの目的や本質を理解し直す必要があります。今の時代は多くの思い込みが機能しなくなり、混沌とした時代です。企業に求めれているイノベーションの本質は、単なる利便性の追求ではなく、人間に豊かさを提供することです。

 便利は、次の便利に簡単に取って代わられる。デジタルカメラが必需品だった時代は、スマホのカメラの高機能に取って代わられ、安価なデジカメは売れなくなりました。そうではなく、イノベーションの目的は、より楽しめるとか、より喜びが大きいといった人間の心に訴えかけるものです。

 そして、それに最初から取り組んできたのは芸術です。近代までは絵描きは職人でした。彼らは描く技術を磨き、イノベーションを繰り返してきました。19世紀、チューブに入れた絵の具が開発され、戸外での制作が可能になりました。

 しかし、芸術は本質的に人間の精神に多大な影響を与えるもので、ギリシャ、ローマの時代から権力者は、盛んに自分の彫像や肖像画を描かせ、権力を誇示しました。西洋美術はキリスト教美術でもあり、文字の読めない庶民は、システィナ礼拝堂の天井画のような聖書の物語を視覚的に見ることで信仰を鼓舞してきました。

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   システィナ礼拝堂の天井画(ミケランジェロ作)
 
 職人時代の芸術家でさえも、単なる描く技術ではなく、観る者に感動をもたらす作品が評価され、たとえば同じ時代を生きたダヴィンチとミケランジェロには興味深い違いものがあります。好奇心の固まりだったダヴィンチは、あらゆることに興味を持ち、フランドル地方で発達した油絵を導入してみたり、人体解剖や軍の兵器を設計したり、今でいう技術オタクでした。 

 ミケランジェロは粗野でダヴィンチのような知的探求は、それほどしていませんが(といってもヴァチカンのサンピエトロ大聖堂の設計も行っている)、依頼主である権力者であり宗教指導者でもある聖職者の要求に答えるべく、感動的な宗教作品を残しています。

 芸術には技術面でのイノベーションと表現方法のイノベーションがあり、偉大な芸術家は大抵、その両面のイノベーションを歳をとるまで繰り返しています。一度売れた絵画のスタイルに寄り掛かり、過去の成功体験だけで生きる芸術家は惨めな晩年を迎えています。

 ゼロから新たなものを創造する芸術の世界は、イノベーションなしには語れません。山のような失敗もしています。ダヴィンチは油絵を自分ありに導入し、室温の変化で作品から油が溶けだし、今は見ることができない作品もあります。芸術家の挑戦は実験の繰り返しです。たとえば、ピカソは作風を頻繁に変えたことで知られています。

 独創的付加価値が芸術家の生命だとすれば、市場に投入される製品にも同じことがいえます。ソニーの盛田昭夫は「市場は自ら作り出すもの」といいましたが、市場ニーズを先読みし、新しい付加価値、それも誰にも真似できない独創性を持つ物やサービスを提供することが求められています。

 そのためにはイノベーションに関与する人間が、自ら人生を楽しみ、普遍性のある喜びを追求する姿勢が必要です。それは単なる利便性ではなく、人間の心を豊かにしてくれるものを提供するイノベーションです。日本企業が社員に与えるべきは長時間・過重労働ではなく、自由とプライベートの生活の充実です。芸術家にとって自由は最も重要なものだからです。

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