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 最近、日本の政府系銀行でグローバルビジネス研修を行い、少々、がっかりしました。日本がODAなどで国際的支援を行うプロジェクトなどを資金面からサポートする仕事を行っているため、他のメガバンクで働く人より、途上国開発とか国際支援という公益性に意識があると期待していたからです。

 実際には、そういう人もいるのでしょうが、就活した結果、メガバンクを全部落ちたので、仕方なく入行したという人の方が多いのが実情で、チャンスを伺い、メガバンクに転職する例もあるそうです。理由はひとえに報酬問題で、政府系ということは準公務員扱いで、待遇は人事院の規定で決まるので、メガバンクに比べれば見劣りするというわけです。

 実は途上国の開発や支援などを学問として体系的に学べる英国や公益性重視を教えるエリート養成校のフランスなどに比べ、日本には高い専門性を持つ教授陣や研究者が非常に少ないのが現実です。最大の原因はキリスト教の背景を持つ欧米諸国の基本的価値観である弱者救済の奉仕精神が日本には乏しいからです。

 無論、今の政教分離が明確なヨーロッパ先進国の英国、フランス、ドイツ、イタリアなどでは、教育分野に直接的にキリスト教が持ち込まれることはないし、表面的にはその影すら感じられません。ところが異文化を深く読み込めば、キリスト教的価値観は暗黙の了解として存在しています。

 たとえば、エリートを養成するフランスの高等教育機関であるグランゼコールの教育プログラムでは公益性を重視する教育を行っている。中でも政治家や官僚を養成するパリ政治学院や国立行政学院(ENA)、日産のゴーン社長のように民間企業のトップとして活躍する人材を輩出するエコール・ポリテクニークなどは、ノブレス・オブリージュ(高貴な者の義務)を教えています。

 知能レベルが高く、経済的にも恵まれた環境に育った人間は、やがてリーダーとなり、より重い社会的義務を負うというノブレス・オブリージュのルーツは「貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない不文律」にあります。日本ではほとんど指摘されませんが、この考え方の背景にはキリスト教が大きく影響しています。

 昨年5月、フランスでは同国史上最年少の39歳でマクロン大統領が就任しました。マクロン氏はパリ政治学院とENAで学び、ENAで最も優秀な成績で卒業した者が進む仏財務省財政監査総局の財政監察官となり、官僚、政界、投資銀行、財務相とキャリアを積んできた人物です。

 実学重視のグランゼコールでは、授業の他に役所や民間企業で長期の研修を行うのが一般的です。私が教鞭をとっていたビジネス系のグランゼコールでは3年間のうち10カ月の企業研修が課されていました。ENAの場合は、地方自治体の役所で研修を受けるのが一般的です。

 そこでも将来のリーダーになっていくエリートたちは徹底して公益性の重要さを学んでいます。ビジネス系のグランゼコールを含め、けっして個人がビリオネアになるための成功物語を中心的に学んでいるわけではありません。

 無論、日本企業も社会貢献など、社会的責任が問われており、企業活動そのものは結果的に社会貢献に繋がっているという意識はあります。しかし、個々人、特に人の上に立つリーダーに公共性、公益性への意識があるかは極めて疑問です。

 公益性重視のリーダーシップは、倫理的行動心理だけに強制はできず、個人に任された側面も大きいだけに、難しい問題ですが、今日本で起きているさまざまな官僚や企業の不祥事の根本に、組織(村)への忠誠心が公共への奉仕精神を上回っている問題があるように思われます。

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