日本人が、とりわけ西洋社会に暮らして遭遇する個人主義は、大きな戸惑いと葛藤を産む原因の一つです。滞在年数が経つにつれ、「変な日本人」になるケースも散見されます。たとえば、現地採用した日本人が個人の権利ばかりを主張し、会社や組織のために働く意識がないというのも典型的な例です。

 職業上、その国に長く住む日本人のお世話になることも少なくありませんが、国によって彼らが受けている文化的影響が違うことを発見することが多々あります。個人主義に限っていうと、フランスに比べ、英国に住む日本人の方が同じ個人主義といっても自立心が強く、カトリック系の南ヨーロッパの個人主義との違いを感じさせられます。

 とはいえ日本人にはない個人主義には、至る所で遭遇します。20年以上前、ロンドンの英国人の友人宅に招かれ、奥さんの料理を褒めようとして「今日の料理はプロの料理人が作ったみたいだ」と言ったことで、嫌な顔をされたことがあります。

 日本人の常識の中にはレストラン料理は家庭料理より優れているというのがあり、画一的価値観で褒めようとしたわけですが、英国人にとっては、作った人のオリジナリティや料理そのものを具体的言葉で褒めて欲しかったわけです。

 いずれにしても、もともと常識への共有度が高く、自分の利益や幸福よりも国や共同体、もっといえば村社会の価値や利益、秩序を優先する日本人にとっては、不慣れな個人主義を解釈するのは大変です。結果、個人主義と利己主義を混同し、自己中心的人間になってしまう日本人も少なくありません。

 そこで「現地採用した日本人は、煮ても焼いても食えない」などと悪口を言う日本から来た駐在員の批判の的になることもあるわけです。

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 人間は異文化の中で長期に暮らすと自然とスタイルシフトしていくものですが、自分の中にはない文脈を持つ異文化を受容する時に、その文化を読み間違えると、その国の人間にもなりきれない変な日本人になる危険性があります。その典型が個人主義です。

 本来、個人主義は西洋近代社会が産んだものとされ、個人の意義と価値を重視し、人間ひとりひとりの権利と自由を尊重することを指すわけですが、その前提には他者にも自分同様の個人としての権利や自由を認め、他者の幸福や利益の追求も自分自身の利益の追求と同等に尊重するということがあります。

 ところが、利己主義では、自分自身の利益や快楽を優先するだけで、他者の権利や自由はまったく考慮されません。つまり、個人の権利や自由は、全ての人に平等に与えられるという前提なしに個人主義はなりたたないわけです。

 では日本人はどうかといえば、所属する組織や集団の利益や秩序を最優先するために、個人の良心や欲望は押さえ込まれる傾向があります。最近の企業の不正経理やデータ改竄、財務相の文書改竄、相撲協会や日大のアメフト事件の全ては、組織を守るために上司が部下に理不尽な命令をした典型例です。

 多くの日本人は、欧米社会に暮らすと、自分が今まで日本の村社会の中で我慢してきた個人の幸福の追求が解放され、他者はさておき、自分の利益や権利、欲望を最優先する人間になるケースは少なくありません。

 ところが個人主義が本来「自由と平等」の2つの原理の上に成り立っていることを理解しないと、日本村への反動から「煮ても焼いても食えない」利己主義人間になるケースもあるわけです。

 無論、個人主義自体も崇高な近代市民社会の思想が産んだだけでなく、英国のように土地の個人所有が近代以前からあり、個人主義の土壌を作ってきた歴史があったり、「神の前に皆平等の価値を持つ」というキリスト教的価値観の影響があったりで単純ではなく、さまざまな個人主義の形もあります。

 それに相手の権利と自分の権利を摺り合わせるのは大変です。日本のように組織や集団が優先される社会では起きえないような利己主義的行動が散見される場合もあります。個人主義はある意味理想で、現実には、とくにキリスト教の影が薄れるヨーロッパでは、利己的行動に遭遇することも少なくありません。

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