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 異文化間コミュニケーションスキルの習得というと、海外赴任前研修などで実施されることが多いのですが、実際に研修を行ってみると多くの受講者は「国内でも役にたちますね」という感想がよく聞かれます。

 ビジネスはほぼコミュニケーションによって成り立っているので、多くの日本人は日本人同士のコミュニケーションでも課題を抱えているわけです。

 無論、自分の会社に中国人やインド人など非日本人の同僚が増えている現状もありますし、たとえば若い時にはネット環境がなかった世代とラインで日常のコミュニケーションをする若い世代、儒教的長幼の序の人間関係に慣れた世代と友達感覚の世代など、1980年代には新人類という言葉が流行ったように日本人同士でも理解し難い局面が増えています。

 ですから異文化間コミュニケーションのスキル習得は、日本人同士のコミュニケーションでも役にたつと感じるのでしょう。そこで様々な方法論が紹介され、演習なども行い、スキル習得の取っかかりにするのが研修なのですが、ともするとコミュニケーションの本質を見失った表面的な方法論にのみ関心がいってしまうケースも少なくありません。

 その一つが「私言葉でしゃべる」というものです。コミュニケーションの基本は情報、知識、思考、感情のシェアですが、特に日本人は感情の伝達が苦手です。自分の感情は押さえ込んで周囲に合わせる文化が浸透しているのも理由ですが、多様性が重視される時代には、自分の感情をうまく表現するために「私言葉」で喋ることが重要です。

 最近、ベルギーの日系企業で行った研修で「あなたが私の指示した手順を変えたために、不具合が生じている。改善が必要だ」というフレーズを私言葉で言い換える演習を行いました。すると受講生の一人が「私の指示が十分でなかったために手順の重要性が十分伝わっていなかったようだね。もう一度私から説明しましょう」と言い換えました。

 すると海外赴任経験のある受講生の一人が「そんな言い方したら、部下のナショナルスタッフは上司が自分の非を認めたことになり、どんなミスをしても自分のせいじゃないと言い出しかねない」と、懸念する指摘がありました。

 たとえば、私言葉に変える典型事例で「今日は緊急の仕事が増えたから、皆には残業してもらうよ」という言い方を 「今日は緊急の仕事が増えたから、もし、皆が残ってやってくれると私はとても助かる。あるいは、嬉しい。」と、私自身の感情をストレートに表現した方が効果的というわけです。

 しかし、日頃私という主語を省いて会話している日本人にはなかなか難しい。多様性が重視され、積極的に多様な文化と接し、新しい考え方や発想、価値観に触れることで自分の世界を広げていくことが重視されていますが、環境や場に対して受け身傾向の強い日本人は発信力も弱いし、自己主張にネガティブなイメージもあるのが現実です。

 私言葉を使うことと自己主張することを混同するのは、間違った考えですが、同時に先程の自分の非を認める私言葉の危険性への指摘で、何が抜けているかというと、同じ言葉を喋っても、その主体が誰なのかが非常に大きな影響を与えるということです。

 自分が信頼もし、尊敬もしている上司が、上司自身の非を認めながら謙虚に私言葉で喋ると、部下はどこかで上司に申し訳ないという感情が沸くものです。つまりコミュニケーションの基本には人間同士の信頼感や尊敬心など多くの要素が背後に存在しているわけです。

 製造業で体育系企業文化の強い企業に限って、力でねじ伏せるようなマネージメントをしている光景をよく見かけます。アメリカ人もそういうところがあるのですが、私言葉で喋るスキルを習得する前提に、相手に対して自分がどう映っているのかというセルフイメージが大きな影響を与えることへの認識が欠けている場合が多い。

 無口だけど、海外でも説得力を持つ日本人がたまにいますが、そんな人はまず、確実に仕事のできる人です。また、仕事に対する真摯な姿勢が相手に伝わっているケースも多いのです。つまり、人間は相手を理解する道具として言葉は30%と言われる所以がそこにあるわけです。