安部雅延のグローバルワークス Masanobu Abe Global Works

国際ジャーナリスト、グローバル人材育成のプロが現在の世界を読み解き、グローバルに働く人、これから働く人に必要な知識とスキルを提供。

フリーの国際ジャーナリストで、フランスのビジネススクールで長年教鞭を取り、日産自動車始め多数の大手企業でグローバル人材育成を担当する安部雅延が、国際情勢やグローバルビジネスの最前線を紹介し、豊富な経験を踏まえた独自の視点で世界を読み解くグローバルトーク。

私は英国人と仕事をすることが少なくないのですが、彼らは外国に出ても、自分は「スコットランド人だ」「ウェールズ人」としか言いません。ブリティッシュという言葉が英国人になるのでしょうが、容易に使おうとはしません。アメリカ人も「どこから来たのか」と聞くと「オハイオ」とか「ミシガン」とは言いますが、USとはなかなか言いません。ブラウン首相が英国人の日を定め、愛国心を育てたいと思っても、多くの英国人(?)が抵抗感を持つようです。私の友人は「ブリティッシュでいいじゃないか」というと、「スコティッシュなんだから、イングリッシュとぜったい一緒にされたくない」と言います。彼らが英国人としてのアイデンティティを持つ日がくるのでしょうか。

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 米国のサブプライムローン問題で、最も深刻な影響を受けたのは欧州でした。なぜなら、アメリカの金融商品を積極的に買う欧州金融機関が粗悪商品を十分な情報なしにつかまされたからと言われています。国際金融業界に関わる人なら誰でも知っていることですが、欧米の金融は、日本とは大きく異なっています。

  例えば、欧米では、銀行は人の金を「預かってやる」という態度で、「預からせていただきます」という姿勢はありません。貯蓄癖のある日本人は、せっせと銀行に金を運び、今では金融商品も積極的に買っていますが、日本の銀行は結果的にお金を集めるのに大きな苦労はしてこなかった。

  貯蓄癖のない欧米では、預けるのは安全と増やしたいという二つの理由しかない。安全目的では、むしろ、自分の金を安全に預かってもらうため手数料を支払うことになる。増やすためには運用が必要で銀行は、専門知識を用いて客を儲けさせてやるわけだから、「ありがたく思え」ということになるわけです。

  銀行は主に融資の利息を収入にしているわけですが、その元手の資金集めも人々がせっせとお金を運んでこないので、あの手この手の商品を開発し、しのぎを削って資金を集めています。融資も日本のように不動産の担保貸しのようないい加減なことはできません。

  プロジェクト・ファイナンスという言葉がありますが、銀行は融資にあたり、事業内容の分析能力が問われます。その意味で経営に関する相当な知識も必要です。

  私は、欧米で動き回る有名ブローカーと何度も仕事をした経験があります。ブローカーというのはいいイメージはありませんが、国際ビジネスには必要悪なものかもしれません。

  彼らの人脈とビジネスの可能性を見抜く能力、信用度というものが、巨大ビジネスを動かす場合が多々あるのを見てきました。そんな彼らの間で、ほとんどギャンブルに近いと思われる金融商品の話が飛び交っています。

  彼らの命は人脈と確実で豊富な情報量です。最近、あるブローカーから聞いた話ですが、結局、欧州の銀行は、十分な情報なしに、米国を信用して、サブプライムローンという粗悪金融商品をつかまされたという話です。アメリカ国内では、インサイダー情報が行き交っているので火傷の度合いは欧州ほどではないということです。

  金が金を生むという金融資本主義を欧州金融機関は、今回の火傷で学習しているとも言えますが、所詮、金融資本主義はリスクの高いギャンブルであることに変わりはありません。小さな努力で大金をつかむことを覚えた人間がどうなるか、歴史に教訓が残っているはずですが、なかなか学べません。

 写真はパリ西郊外にラ・デファンス

  

話題に事欠かないサルコジ仏大統領ですが、今度はブードゥーの呪いの人形にされてしまいました。日本なら不人気の首相でも、記念饅頭を作る程度ですが、フランスは意表をつく過激さです。これがけっして左派の保守攻撃でない証拠は、昨年の左派の大統領候補だったセゴレーヌ・ロワイヤル女史の人形もされているからです。両者共に法的処置も辞さないと怒っています。フランスでは「波風立てない」とか「空気を読む」という習慣は希薄です。それより他人とは違うユニークさに価値が置かれる国。結構、大統領の発言は注意深く聞かれており、その矛盾や迷言は、すぐ強烈な批判の的になる国です。もっともこんなジョークやウィットの聞いた批判は、今ではYOUTUBEで、世界中に日夜流されています。いちいち腹を立てていれば、寿命が持たないでしょう。ですが、サルコジ氏は、ブルーニ夫人とのショットを勝手にコマーシャルに使われ、裁判に勝って、罰金をたしか人道支援に使ったのは今年の話です。もしかすると今度も裁判に持ち込み、アフリカ支援に賠償金を使うつもりかもしれません。

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サルコジ仏大統領は、今度は政府系ファンドを作り、金融危機から企業を守ろうとしています。まずは、201011日まで、企業が支払う職業税を非課税にすることを明言しました。

 そして、政府系ファンドを作って、企業を支援すると同時に、融資を受けられない企業を救済するため、仲介人を立てる制度を作るとしています。すでに金融機関の貸し渋りは起きており、中小企業の中には人員削減や廃業を追い込まれる企業も現れています。

  左派は早速、この政策を批判し、バリバリの左翼政治家、マルティン・オブリ元労働・雇用相は、「企業だけを助ける、実効性のない政策」と批判しています。しかし、フランスの右派は、英国の労働党より左寄りと言われて長いのですが、サルコジ氏はどうなんでしょうか。彼は単純なドゴール主義の保守的政治家でもなく、米国崇拝の資本主義者でもありません。「努力する者が報われる社会」が彼の公約ですから、そのために政治は何ができるかを模索しているように見えます。

 ブレア英首相、メルケル独首相などEU首脳が、どうこの金融危機を乗り越えるのか、腕前が試されているようです。そういえば、フランスのマスコミは、サルコジ氏の提案で緊急サミットが開催までこぎ着けたと報じていますが、どうなんでしょうか。

  少なくともEUの政治指導者らは、この危機に政治メッセージを流し続けています。このことは重要かと思います

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 フランスでは、政府が学校教育改革を進めています。今回は特に高校生が対象で、来年の1年生から、選択性が導入され、国語や数学、社会といった基本科目以外は、生徒自身が興味のある科目を選択することになるそうです。

気に入らなければ、学期や学年ごとに選択科目は変更できるということで、進路や学習のための指導教官も増強するとしている。

実は、フランスも日本同様、学力低下に悩まされていて、解決策を模索しています。そこで学力世界一のフィンランドに学び、選択性の導入、指導教官の増強に踏み切ったわけです。

しかし、個別指導の行き届いたフィンランドは、生徒に対する指導員の割合がフランスの7倍だそうで、大学に進む率も95%と非常に高く、目標には到底追いつかないのが実情のようです。

選択性の重要なところは、将来の職業や学びたい内容をきっちり詰めていくことで、単に苦手科目を避けるとか、面白そうだから取るという安易なものでないことです。つまり、モティベーションが高くないと成立しないということでしょう。

 写真 パリ16区の高校で

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 当時のポール・フレール氏の自宅はニース郊外の小高い丘の上にあり、インタビューの前に、自宅を一通り案内された。何でも築二百年の家だそうだが、成功者だけに許される南仏の優雅な豪邸のようで、プールの前で彼は微笑んでいた。

  ベルギー人のフレール氏は、フランス語や英語を初め、数カ国語を操り、実にインターナショナルな人物だった。ヨーロッパでは、ベルギーは小国なため、彼らは、語学力だけでなく、さまざまな能力を身につけて生きてきた。ベルギー人は商才と手先の器用さに恵まれていることでも有名だ。

  優秀な彼は、ドライビング技術を物理の法則になぞらえて説明したりして、その知的アプローチがインテリ好きの日本のクルマ愛好家にも好感が持たれた。

  当時は、ヨーロッパでの運転経験は少なかった。パリで生まれて初めての運転免許を取得して数年しか経っていなかった。そんな自分が、クルマのプロフェッサーと呼ばれ、クルマの真髄を究めた人物に会っていることが場違いだったのかもしれない。

  だが、フレール氏は実に気さくに、何でも質問には答えてくれた。撮影のために持っていったハッセルに満足げで、何度もポーズをとってくれた。彼の書斎の光景は、今でも目に焼きついている。

  帰り際に、玄関前に何台ものクルマが置いてあるのを指して「新しいクルマが出るたびに、メーカーが勝手に置いていくんだよ」と苦笑していた。

  クルマにとりつかれた少年のように饒舌に語る姿と、空港に向かう彼のクルマの中で見た、ハンドルを握り続けた彼の大きくてゴツい手が印象的だった。

写真 1956年ルマン24時間レースで事故後にピットに戻ったポール・フレール

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   F1の熱狂的ファンの友人と話していたら、懐かしい名前が飛び出した。その名はポール・フレール。

車好きなら日本でもお馴染みの名前だが、F1ドライバーでルマン24時間を征した男で、モータースポーツ・ジャーナリストとして活躍した男だ。今年2月に亡くなった。

  懐かしいというのは、今から17年前に彼のニースの自宅に取材に行ったことがあるからだ。ニースのコートダジュール空港まで迎えに来てくれたフレール氏は、ホンダビートに乗っていた。ジャガーマガジンの取材だった。

  私は助手席に乗せられ、彼はニース郊外の丘の上まで、コートダジュール独特のくねくねと曲がるくねった道を一挙に駆け上がった。あまりのスピードに足元にはない助手席のブレーキを本能的に踏んで恐怖を耐え忍んだことを今でも鮮明に覚えている。

  カーブのコーナーに突っ込むときのスピード、日本人ならとうの昔に踏んでいるブレーキを踏まず、エンジンブレーキを巧みに使いながらクルマを操っていた。当時はポール・フレールの助手席に座る名誉など分からなかった。

  今考えると、もっとヨーロッパでのクルマの運転に習熟し、モータースポーツを熟知していれば、心臓が止まるほどの感動があったのにと悔やまれる。日本で雑誌のグラビア取材で星野一義氏に密着したくらいで、あの時は何も分かっていなかった。(続く)

写真 筆者撮影