安部雅延のグローバルワークス Masanobu Abe Global Works

国際ジャーナリスト、グローバル人材育成のプロが現在の世界を読み解き、グローバルに働く人、これから働く人に必要な知識とスキルを提供。

フリーの国際ジャーナリストで、フランスのビジネススクールで長年教鞭を取り、日産自動車始め多数の大手企業でグローバル人材育成を担当する安部雅延が、国際情勢やグローバルビジネスの最前線を紹介し、豊富な経験を踏まえた独自の視点で世界を読み解くグローバルトーク。

10160112184_a75b356e04_c
   いったい武漢のどこで新型コロナウイルスの感染が始まったのか

 新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)への対応を話し合う先進7ヶ国(G7)首脳会議が16日、電話会議の形で行われ、世界保健機関(WHO)の徹底した検証と改善を求めるアメリカとWHOを支持する仏独の温度差が報じられました。ところが深層はそんな単純なものではありません。

 仏独は国連中心で世界秩序を構築する多文化共生主義なのに対して、アメリカは国連を中心とした国際機関が常に政治利用のリスクに晒されていることから懐疑的です。その意味で、仮に今回のパンデミックが中国の影響下にあるWHOが正確な情報を世界に発信する義務を怠ったとすれば、アメリカが主張するようにWHOは機能不全に陥っているといえます。

 実は今回のG7の会議には、2つの大きなテーマがあったと私は見ています。1つはWHO問題、2つ目は中国問題です。会議の目的自体は7ヶ国が先頭きって新型コロナウイルス対策で協力関係を強化することと、パンデミック終息後の経済回復の出口戦略の中心的役割を7ヶ国が担うことを確認することだったわけですが、これだけ甚大な被害が世界に拡がった以上、原因究明と責任追求は当然です。

 G7はWHOに対するアメリカと欧州の温度差は温存しながらも、実は中国疑惑に対しては風向きが変わったことが大きな成果といえます。

 フランスのマクロン大統領は16日、英フィネンシャルタイムズ紙とのインタビューで、新型コロナウイルスの中国での感染拡大について「起きていながら私たちが知らないことがあるのは明白だ」と述べ、世界で最初の発生源となった中国から提供されている情報に隠蔽があるとの認識を示しました。

 一党独裁の中国の方が民主主義国家より危機対応をうまくやれているとの見方についての質問に対して「中国の方がうまく対応したというのはあまりに稚拙な考えだ」として、中国からの情報について「ばか正直に信じてはならない」と述べ、全面的には信じていないとの立場を明確にしました。

 一方でG7会議後、仏大統領府がマクロン氏は「(会議では)野心的で連携した国際対応の必要性を強調し、WHOへの支持を表明した」との声明を出しましたが、同じ人物の発言としては矛盾しています。一方で中国の情報は信用できないといいながら、その情報を鵜呑みにしたWHOを支持するというわけです。

 マクロン氏は、世界保健機関(WHO)をアメリカのトランプ大統領が「中国寄り」と批判し、分担金を真実の検証が終わるまで支払いを停止するとした決定には批判的でした。実際、「全ての対応策はWHOの正式見解を元に決定する」と同氏は2月末から何度も述べ、この世界的ウイルス禍への対応が迫られる状況でアメリカが資金拠出を停止する姿勢に不快感も示していました。

 他の欧州首脳らもトランプ氏のWHOに圧力を加える決定には批判的でしたが、本当は16日のG7テレビ電話会議で風向きは変わったと見られます。特にWHOの新型コロナウイルス感染症対応に関し、首脳らがアメリカが主張する徹底した検証と改革を求める方向について抵抗しなかったことです。

 見解の相違はあるにせよ、マクロン氏など欧州諸国首脳のその後の発言から中国へ疑いは深まっていることが伺えます。アメリカが、世界の感染者が210人を超えたウイルスの発生源が、中国・武漢の研究所かどうかについて調査を開始したことも影響を与えています。

 最近、フランスでは、同国のHIVの発見者でノーベル生理学・医学賞受賞者のウイルス学の権威、リュック・モンタニエ博士(87)が、新型コロナウイルスは野生動物からではなく武漢にある氏自身も良く知る研究所で人工的に作られたものだと発言したことが波紋を呼んでいます。これが本当なら中国は武漢の感染拡大を抑えた功績を世界に誇るどころではなくなります。

 それに、中国の対応を高く評価してきたWHOの信用度もガタ落ちになるでしょう。マクロン氏はそんな事情も知りながら、中国のいうことを真に受けるのは愚か者だといったと思われます。

 
新型ウイルスに感染し療養中のボリス・ジョンソン英首相の代行を務めるラーブ英外相は、中国とはこれまでの関係を維持できないかもしれないと述べ、「なぜ早期に阻止できなかったのかという、厳しい質問をせざるを得ない」と述べています。

 中国への疑惑を口にしないのは、欧州で最も中国と経済関係の深いドイツのメルケル首相だけです。無論、WHOへ3番目に高額分担金を払う日本の安倍首相はWHOへの支持を継続し、中国への疑惑に言及することはありません。財界と習近平に忖度しているからでしょう。

ブログ内関連記事
国際機関トップの選任再考の時 トランプのWHO批判で浮上する途上国の弱み握る債務外交
隠蔽された中国マネーの巨額債務 世界経済は想定不能な金融リスクを抱え込んでいる
なぜインフルエンザよりパニック? 想定外のテロや陰謀説から正体不明の恐怖まで
新型コロナウイルスは聖戦主義とそっくり 世界は今ブラックスワンとの戦いの有事にあると認識すべきだ
 

Abe mask

 
今回の新型コロナウイルスとの戦い方は各国で違いがあるとはいえ、専門家の科学的見解が影響を与えていることに違いはありません。専門家の多くは人から人への感染が確認された時点で、早い段階からの封鎖措置を警告し、政治決断が早いか遅いかで感染規模の違いが出ているように見えます。

 国の全土で強制的に封鎖する措置は、余程の国民に対する説得力と特別な権限を政府に付与する緊急時の法律が必要ですが、当然、国民と政府間の信頼関係がない国は、暴動が起きたりしています。日本の場合は、緊急時の法律が取ってつけたように作られ、いかにも日本的です。

 仮に日本でもヨーロッパやアメリカ級の感染規模になれば、これまでの政府の危機対応に対する批判が高まり、安倍政権の支持率は急落するでしょう。政府は感染規模を理由に専門家の意見を尊重しながら、小出しに対応策を打ち出していますが、多くの世界中の専門家は「このウイルスとの戦いは先手を打つことでしか勝てない」といっています。

 つまり、出てくるデータを元に対応策を順次強化するというアプローチでは抑えるのは無理ということです。にもかかわらず、日本政府はこれまで先手を打つことはなく、今後も感染者や感染死者数が増えるごとに、それをあたかも科学的根拠として対応策を変えていくやり方を貫いていくスタンスです。

 ほのかな期待は日本だけが、要請だけで命令せず、人の移動と接触を禁じる完全封鎖も実施せず、なおかつ大した経済補償もしなくて危機を乗り換えられるということでしょう。根拠には日本人の衛生観念の高さや真面目に政府に従う従順さを挙げる人もいるでしょう。

 可能性は低いものの、仮に日本では大規模な感染が起きず、人口に対する死亡者数も世界最低に抑えられれば、世界から尊敬されかもしれません。しかし、中身を見れば移民の極端に少ない日本で維持される社会的規範は、多民族、多文化、多宗教の国には参考にはならないことに気づくでしょう。

 むしろ、ここまでリスクを冒して厳しい対策を取らなかったことに呆れられるかもしれません。それに日本がとった対策が、たとえ最低限に被害を抑えられたとしても、中身に普遍化できる方法論は乏しく、学ぶべきものは見当たらないのも事実です。

 これは日本企業では、ある程度改善されていることですが、意思決定で先手を打つのは常識化していることです。厳しい競争に晒されるビジネスの世界では、ほとんどの成功例は、存在しないビジネスモデルを開発し実行したことです。それは市場に勝つだけでなく、企業の健全性維持にも必要です。

 危機が起きる前、起きた後の全体のリスクマネジメントにおいても、例えば15メートルの津波が押し寄せる予報が出された段階で避難するのか、津波が来て犠牲者が出たのを見て逃げるのかでは犠牲者の規模は大違いです。最悪の事態を予想し、行動することがリスクマネジメントンの基本です。

 その視点を見れば、日本政府は何人死者が出たので、今度は対策を少し強化したいと言い続ける姿勢は、リスクマネメントの王道から逸脱しており、当然、対策は後手後手になります。理由は経済活動への被害の最小化、個人の権利の保護などですが、この人命に関わる戦争で、そんなことを全面に出す政府は、どこにも見当たりません。

 1カ月から2カ月間の完全封鎖でも抑え込めない可能性はあるし、ワクチンができるまでの1年半は対策が必要というクウォモ米ニューヨーク市長の見解や、ワクチンに頼るのも間違いという専門家の意見も出始めています。

 問題は上がってくるデータをどう読むかです。データそのものは政策を打ち出す根拠の1部でしかありません。日本は長い間、帰納的アプローチで物事を決めてきました。帰納的アプローチの強みは状況に応じて改善する柔軟性を持っていることですが、科学性には乏しく、切迫した危機対応では限界があります。

 では、欧米で使われる演繹的アプローチはどうか。そのアプローチは集めたデータを分析し、ある法則を見出し、適切な方針を決めるやり方です。結論はデータそのものではなく、それを読み解く科学的分析を根拠にしており、人に頼らない普遍性を意思決定の根拠にしていることです。

 私は演繹的アプローチが帰納的アプローチより優れているなどというつもりはありませんが、データを深く読み解き、大胆な政策を打つことは、危機対策では有効です。演繹的アプローチは日々刻々変わる状況への対応は苦手な一方、表面的な状況変化に振り回されない強みもあります。

 なによりも危機対応でもビジネスでも、先手を打てるかどうかが勝敗を決する時代です。そうなると演繹的アプローチは絶対必要です。そのためには高度なデータ分析力と、物事の優先順位を決める能力が必要です。今の日本政府には、それが見られません。むしろあるのは人命より経済という価値観だけです。

 これが急に変わることはないのでしょうが、日本の意思決定のあり方が大きく問われていることは確かです。印象としては政府は国民の心から遠いところで、日々あたふたしているようにしか見えません。今の対策の混乱が最悪の事態を招かないよう祈るばかりです。

ブログ内関連記事
人命より組織優先の働き病 なぜリーダーの判断力、決断力を問題視しないのか
日本人の強い戦争アレルギー 海外から違和感を持たれる不思議な平和幻想の国
国民の良識頼りの緊急事態宣言 強制力ない代わりに補償もなしで日本の危機は乗り切れるのか
目標設定へのアプローチ思考を支配する文化の違いからシナジー効果を発揮する



louvre-visite-quotles-grands-chefs
  パリ・ルーヴル美術館の小学生の美術ワークショッププログラム copyright Musee Louvre 

 フランス政府は今月13日、新型コロナウイルス対策の封鎖措置を5月11日まで延長し、同時に状況を見ながらそれ以降、段階的に封鎖を解除する方針を決定しました。一方、4月10日にはルメール財務相が緊急経済対策として、すでに施行済みの450億ユーロの緊急支援プランを1,000億ユーロにかさ上げすることも表明しています。

 そこで気になるには、政府により封鎖を強いられている大小の劇場、美術館など文化活動の拠点及び、それらを必要とする芸術家などの関係者はどう生き延びているのだろうかということです。日本でもライブハウスの経営破綻、舞台役者の生活困窮などが伝えられています。

 自身もコロナウイルスに感染したリステール仏文化相は3月18日に国立造形芸術センター(CNAP)など文化芸術分野の国立センター緊急基金設立を表明しました。文化芸術活動に携わる人々への支援が目的です。政府が緊急支援予算をかさあげし、今後もさらに強化する方針なのでこの基金も増額される可能性があります。

 たとえば美術館の閉館、音楽演奏会、バレエなどの公演中止により、関係者の雇用維持のための支援策が打ち出されているわけですが、実はフランスは文化芸術活動に関わる組織や人々の生活は、様々な側面から守られていることも見逃せません。

 フリーランスでも例えば画家として生活していることが証明されれば、社会保障税が免除されるなどの措置は30年以上前から存在します。今、問題になっている不可抗力に伴う組織や個人の休業を強いられた時の補償も、すでに存在し、そこに緊急支援策が加わった形です。

 日本政府は世界に休業補償は存在しないの一点張りですが、法律や社会保障制度が大きく異なるだけで、休業補償の解釈の問題です。欧州は全般的に今回の疫病蔓延のような不可抗力の健康災害、自然災害については、それを国家が全面的に保護するという考えは徹底しています。

 日頃からフランスは社会保障を充実させているので、役所にそのシステムがあり、現金給付も迅速です。当然芸術に携わる人々は他の業種同様、特別に保護されており、例えばフランスには舞台芸術などに携わる人々、通称「アンテルミタン」に対して仕事がない時期に社会保険で所得を保障する制度が、すでに存在します。

 フリーランスで活動する人たちも一定の基準を満たせば、収入の激減に対して生活補償や失業手当を受け取れる制度があり、文化芸術活動は守られています。

 今回のコロナ禍のフランス政府の経済対策の一環として、企業の借入保証(3,000億ユーロ=約36兆円)と並んで、10億ユーロ(約1,200億円を投じて小規模・個人事業者(芸術文化も対象)に1,500ユーロ(約18万円)、場合によって3,500ユーロ(約42万円)を1カ月単位で支給する方針が打ち出されています。

 一方、今回のコロナ対策ではドイツのグリュッタース独連邦文化相が「アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在」と発言し、500億ユーロ(約6兆円)を文化・芸術領域での収入減に直面する文化施設や芸術家に大規模な支援を約束し、注目されました。

 日本では在独の日本人ピアニストが、簡単なネットでの申請でいかに迅速に支援金を受け取ったかが報じられていますが、これはフリーランスの芸術家たちから「申請しても返事も来ない」などの批判の声が上がってドイツ政府が改善した結果でもありました。

Hopital de la Salpetriere
  パリ13区にあるサルペトリエール病院で働く職員がinstagramに投稿した写真

 実は、そもそもフランスの文化関連予算はドイツの2倍に当たる36億ユーロ(2017年)で、2倍の人口でGDPも上位の日本の4倍に相当します。つまり、社会の経済活動や公益性の高い活動に文化芸術は完全に組み込まれており、政権が代わっても予算は維持されている。今回の深刻な疫病蔓延の緊急事態でも、支援が後回しになるようなことはないということです。

 音楽や舞踏など一過性のパフォーマンスを軸とした活動は、発表する機会を失うと関係者のダメージは大きく、命を絶たれる状況です。日本でも演出家の野田秀樹氏が「劇場閉鎖は演劇の死」という意見書を出したりして危機感が高まっています。

 美術は作品が残るので発表の機会は完全に失われませんが、展覧会の中止が画家や彫刻家にとっては大きな痛手です。フランスでは7月まで文化・スポーツフェスティバル関連活動は禁止されていますので、カンヌ映画祭も今年の実施が危ぶまれています。

 日本では文化芸術活動は余裕がある時にやるものという考えも、まだまだあるようです。それでも東日本大震災で被災者を勇気づけたのが文化、芸術でした。イタリアではバルコニーから皆で歌を歌い、乗り越えようとしています。

 フランスではドイツのグリュッタース独連邦文化相が言うまでもなく、文化芸術は人間の営みに欠かせない存在という考えは完全に定着していますが、危機的状況だからこそさらに大切にしたいものです。

ブログ内関連記事
豊かさを追求する次の一歩は生活においてもビジネスにおいてもアートがより身近になること
誰も見たことのない大都市の風景 お金が全てのGDP神話から目を覚ます年なのかもしれない
ダヴィンチ恐るべしー21世紀にも強烈なメッセージ ルーヴル最多110万人の来館者を記録



Japan flag crisisのコピー

 どこまでいっても新型コロナウイルスの脅威に対して日本だけが強権を発動することを許さないようです。緊急事態宣言が出ても市街に警察官も自衛隊員の姿もほとんどありません。せいぜい歌舞伎町の風俗店の見回りで警察官がいるようですが、それは前からの話です。

 強権を発しない理由は法律がそうなってないからといいますが、裏を返せば「日本人はモラルが高いので命令ではなく、要請で十分、コロナの脅威に立ち向かえる」ということなのでしょう。無論、どこの国や自治体の首長も国民や市民に団結を呼びかけていますが、強制力のある法も施行されています。

 まずは国家が守るしかない疫病危機、フランスのマクロン大統領は13日にテレビ演説で4月15日までの封鎖措置を5月11日まで延長しましたが、国民の団結も訴え、補償の拡大も約束しました。ただ、したたかに生きる移民たち、特に天安門事件以降に亡命してきた在仏中国人たちの本音には興味深いものがあります。

 社会保障手厚いフランスでは、しっかり政府から給付金を受け取る一方、密かに蓄財する移民は少なくありません。法律に従って真面目に働けば、ある程度の生活しかできませんが、補償を受け取りながら、法の網の目をかいくぐって金儲けするのが得意なのが中国人です。

 今回も政府の補償は目一杯受け取りながら、被害を最小化し、確実に資産を増やすしたたかな中国人は少なくありません。そんな彼らから見ると今、補償の問題が盛り上がる日本についての意見は興味深いものがあります。

 一言でいえば、日本は彼らから見ると中国本土以上に社会主義の国に映っているということです。彼らはフランスに対しても同じような印象を持っています。フランス国民は何かと政府に手を出す傾向が強く、それに日本も似ているというわけです。

 では中国はどうなのか。言論統制とか人権軽視、中国共産党が決める規則の縛りという点では、非常に厳しい一方、生きていくという意味では、あらゆる変化を生き抜いていくために、金融商品の運用などあらゆる手段を講じて密かに蓄財し、いざという時に備えているといいます。武漢のロックダウンを生き抜いた市民の多くは貯金を切り崩して生き抜いたといいます。

 だから、亡命した中国人にとっては補償の手厚いフランスは天国なわけですが、中国共産党の規則に比べ、フランスが自由かといえば、中国より社会主義的と感じる中国人は少なくないそうです。今回のコロナ禍で、私の知る在仏中国人だけでなく、中国本土の中国人も「日本もフランス同様、社会主義的なんだね」といっているそうです。

 そういえば、中華系の多いシンガポールでは、老後の生活は自分で貯めるというマインドが常識化しており、結果として老後の資金を得るための金融資産を増やす能力は日本人など足元にも及ばないといわれています。政府をあてにする発想は基本的に希薄です。

 無論、国民の健康危機については、さすがのしたたかな中国人も恐れをなしている部分もあるし、人間の力ではどうすることもできない危機なので、危機を乗り越えるために政府が様々な補償すべきだという点では意見は一致しています。

 もっと興味深いのは、日本では今回、諸外国の危機対応と日本の対応の違いが、法律や日本人の良識、衛生観念の高さにあると説明されることが多いのですが、私は多人種、多文化の国での危機管理の難しさをもっと理解すべきだと思っています。

 アメリカで黒人やヒスパニック系の感染者が最も多いのは、彼らがロックダウンの中でも働き続けるしかない地下鉄やゴミ収集、病院など公共サービス部門の最底辺を支えていることが主な原因といわれています。無論、貧困のために病気でも病院に行けないケースも多く、重篤化した時は手遅れという悲劇も多いのが実情です。

 それに多人種、多民族の国では、厳しい罰則を設けなければ秩序を保つのは困難です。今、アメリカの次のパンデミックの中心地になると見られるインドやパキスタンは、多宗教、多文化の国です。報道映像で外出や移動を禁じる措置を守らせるために警察や軍が棒で違反者を殴る光景を目にしますが、多様な人に同じルールを守らせるのは容易なことではなりません。

 これからイスラム教はラマダン時期に入ります。日中、何も食べずに家にいるのも大変ですが、多くの信者が集まって祈りを捧げることを完全に禁じることができるのか疑問です。それに比べれば日本は、まだまだ、多人種、多民族、多文化のダイバーシティの国ではないというかもしれません。

 だから、日本人が社会秩序を保つために歴史的に根付いた性善説を今回も持ち出すのは自然だというかもしれません。ところが過去のいかなる時期より文化の異なる人々が日本に住んでおり、価値観の多様化が進んだ今、国民のモラルの高さや忠誠心、真面目さだけを頼りに、果たして危機を乗り切れるのでしょうか。

 私には時代錯誤にしか見えません。今回の問題でいえば給付補償に慎重な一つの理由が不正を管理できないということです。本来、受け取るべきでない人があらゆる手段を講じて受け取ろうとし、大切な税金が不適切に使われる恐れがあることは防ぐべきです。実際に東日本大震災でも同じような不正行為は山のように起きました。

 性悪説なら、罰則を強化するのが常套手段ですが、性善説の日本の罰則は甘いのが実情です。日本では法律の外に社会的制裁という罰がありますが、ダイバーシティが進んだ社会では機能しません。つまり、今の日本は良識を頼りに危機管理できるような状況でなくなっているのが現実だと私は見ています。

 だから、グローバルマネジメントでは権限と賞罰の強化が重要といわれるように、国家の危機管理でも権限と罰則の強化は必須です。日本人が国の発展のために個人や家庭を犠牲にし、勤勉に働くことで戦後、奇跡の復興を遂げた時代とは大きく違います。このダイバーシティが進む時代に何をすべきかがコロナ危機で問われているといえます。

ブログ内関連記事
国民の良識頼りの緊急事態宣言 強制力ない代わりに補償もなしで日本の危機は乗り切れるのか
国からの保障をあてにしないシンガポール人のしたたかな生き方
脱グローバルで懸念される内向き志向 経済危機の最大の敵=引き籠もりリスクといかに戦うか
ダイバーシティのメリット・デメリット 200の民族160の言語のNZのリスク
 


Leadership-Role

 東日本大震災の時、私は妻の郷里であるフランス西部ブルターニュ地方の小さな町にいました。薬局に行ったら、私を日本人と知るはずのない薬剤師が「あなたの家族は大丈夫か」と聞かれ、驚きとともに有り難い気持ちになりました。

 テレビでは当時、地震の影響で公共交通機関が止まり、東京では帰宅困難者が駅構内などで寝泊まりする姿が報じられました。しかし翌日以降、徐々に交通機関が運転を再開すると「この国では何事もなかったように通勤する人々の姿が見られるのは驚きだ」とフランスのテレビは報じたのが忘れられません。

 多くの映像はNHKから入手したもので、フランス報道機関の特派員は震災後、台湾や中国、韓国に逃げ出したり、本国に帰国し現地で取材するのはフリーランスのみでした。エールフランスは成田発着便のフランス人乗員が福島の原発事故を受け、成田に向かうことを拒否し、ソウル仁川空港に向かいました。

 フランスの雇用法では従業員が仕事で命の危険を感じた場合、仕事を拒否できるだけでなく、その結果の降格、解雇も禁じられています。新型コロナウイルスの問題で、まずフランスで批判されたのは、日本で4月に新入社員研修を決行する会社があったことです。葛藤しながら研修所に向かう新入社員について、この国の人権はどうなっているとSNS上で批判の声が行き交いました。

 もしかしたら疫病に対する恐怖心という意味では、日本人はあらゆる途上国よりも感性が鈍いのかもしれません。先進国、新興国、途上国問わず、経済活動と人命を天秤にかけて経済活動を優先する国は世界の報道を見ても見当たりません。

 国民の人命を最優先で守ろうとしない政府は、どこの国でも糾弾され、暴動が起きている国もあるほどです。テレワークへの切り替え率があまりに低い日本は、経済活動を停止するかスローダウンしても人命を守るという考えが、あたかもないように見えます。無論、休業補償や個人の給与補償などの経済補償を渋る政府の影響もあるでしょう。

 大震災の数日後に通勤ラッシュが起きたように、緊急事態宣言が出ても朝の満員電車も会社に向かうサラリーマンの姿も変わらないことを、世界はいぶかっています。そこで飛び出したテレワークを困難にしている印鑑文化や紙ベースの業務形態、これらを命をかけて守ろうというなら笑うしかありません。

 多くの日系企業のコンサルをやらせてもらう私の知る限り、今回の問題の核心はリスクマネジメントの基本について、国家中枢部のリーダーから会社の幹部まで分かっていないことが最大の原因だと私は見ています。日本はもともと価値観とかヴィジョンを明確化することに弱く、物事に優先順位を付けるのが苦手です。

 状況に合わせてその時その時で手を打つのが日本のスタイルです。そのため日本政府は小出しに方針を打ち出し、大胆な政策は避けています。企業も状況を見ながら、どこまで経済活動を継続できるかにフォーカスしており、それ以前の問題として社員の人命は優先される考えは希薄に見えます。

 経営者は口を揃えて「人あっての企業」といいますが、人命が失われたら、元も子もありません。まるで人はいくらでも代替できるといいたげです。ヨーロッパでは「中国人は息を吐くように嘘をつく」「日本人は組織に人生を捧げ、働くことは宗教だ」といわれますが、今日本で起きていることは、まさにその通りです。

 しかし、補償がなければ命の危険があっても、会社に通い続けるしかないのが日本のサラリーマンでしょう。だから、組織や働くことを人生の中心に置いているサラリーマンを攻めるわけにもいきません。フランスと違い、命の危険があるので会社に行かないといえば首になるリスクも抱えているからです。

 問題の本質はリスクマネージメントの核心はリーダーシップにあることです。人の上に立つ者がどのような価値観を持ち、何を優先するのかということです。テレワークが進まないのも通勤を続ける当人の問題ではなく、それを放置している上司の問題であり、会社全体の意思決定を行える幹部の問題です。

 たとえば、このコロナ禍を機会に業務のデジタル化を加速させようという気運があります。そのための投資に国も支援の方針です。ところがデジタル化に躊躇しているリーダーは日本では意外と多いといいます。「自分は機械音痴だから」とか「アナログの方が安心だから」と言い訳していますが、実は日本の職人文化では経験則が重要なので、リーダーが未知の世界に踏み込むのは至難の業です。。

 実は、日本の会社は本当の意味で成果主義ではないので、やる気のない古い社員も多く抱えています。大企業には終身雇用の弊害として生まれた極めてモチベーションの低い中年以上の社員が放置されたままになっている。彼らは生産性の向上より日常を変化させないことや保身を重視します。

 某日系大企業に15年間、派遣で勤めた女性が退社宣言しました。彼女は非常に能力が高く、何年間も重要な仕事を任されていたそうです。辞めた理由は正社員には絶対になれないことが分かったからだと本人から聞きましたが、本当の理由は能力も生産性も低いだらだら働く正社員への不快感が限界に達していたからだといっていました。

 私は「上ばかり見て仕事をするのをやめよう」とリーダーシップ研修で強調しています。上司の顔色を伺いながら仕事をするのは、日本の歴史的に残る「主人に仕える下僕の精神」や「親に対する孝行の精神」ですが、これらの精神は主人や親が常に正しい判断を下す前提がなければ機能しません。

 今回、国家の上から下まで人命重視が見られないのは、通勤し続けるサラリーマンよりは、上司の判断力、決断力、働き方を進化させる意識の欠落だと私は思っています。政府も同じです。空気ばかりを読んで出世してきたリーダーは、空気を変える人間ではありません。

 印鑑文化や紙文化の維持は人命を犠牲にしてまで守るようなものではないはずです。働き方を大きく変えるチャンスであり、社員の幸福を重視する文化を育てるチャンスであり、変化やリスクに強い組織にするチャンスであり、それはリーダーの考え一つだと思います。

ブログ内関連記事
働かざる者食うべからず 不可抗力の危機状況でも貧しい人生観が頭をもたげる
国民の良識頼りの緊急事態宣言 強制力ない代わりに補償もなしで日本の危機は乗り切れるのか 
想定外の事態に品不足のPC 在宅勤務がもたらす会社のデジタル・イノベーション
リスクマネジメントとリーダーシップ 日本はいつも国民の従順と真面目さに助けられてきた 



 

EU corruptionのコピー

 先週9日に開かれた欧州連合(EU)のユーロ圏財務相会合は長時間の議論の末、新型コロナウイルスの経済ダメージへの対応として、総額5,400億ユーロ(約64兆円)規模の対策で合意。一方、イタリアやスペインが要求している欧州共同債の通称、コロナ債については見送りになりました。

 今回の対策費の財源は、ユーロ圏の債務危機対策基金、欧州安定機構(ESM)の与信枠活用で各国を財政支援するのが柱。当然それだけでは足りないので、今回の決定以外にユーロ圏南部で悪評の財政赤字の上限を定めるルールを解除し、欧州中央銀行(ECB)は加盟国の国債に対する無制限の支援提供を表明し、ドイツを含む北部諸国はEU予算の拡大も容認の構えです。

 つまり、EUが一丸となって危機を克服すべきという認識に異論を唱えるEU首脳はいません。ところが新型コロナウイルスが他の欧州諸国に先がけて拡大し深刻なダメージを受けている欧州南部イタリア、スペインと経済優等生のドイツやその周辺国との対立が表面化し、EU存続に関わる事態に発展しそうです。

 イタリアやスペインが求めるコロナ債の導入については、ドイツやオランダが反対し、結論は今月23日開催のEU首脳会議に持ち越されました。合意できなかった理由は、巨額債務に苦しむイタリアやスペインがコロナ禍対策ではなく、債務軽減という別の目的に使う可能性が高いと懸念してのからです。

 アメリカに次ぐ19,500人が感染で死亡ているイタリアは、集中治療室に入る重篤患者数の増加率が減っているとして、10日に全国の封鎖措置を一部の店舗などで解除する一方、封鎖措置そのものは5月3日まで延長することを表明しています。つまり、3月9日に全土を封鎖し、日用品以外の生産活動停止を命じたイタリアは、2カ月弱の経済活動停止ということになります。

 同国のコンテ首相は、EUがコロナ債導入に消極的なことを批判し、9日の英BBCテレビのインタビューで「EUが十分な対策を講じなければ、(EU存続は)危険に晒される。そのリスクは本物だ」と不満を訴えました。医療崩壊と多数の死者を出しているイタリアやスペインの惨状が、ドイツやオランダに伝わっていないという不満が噴出しています。

 危機感という意味ではコンテ首相は「第2次世界大戦以降最大の試練」といっているだけでなく、ドイツのメルケル首相も同様の認識を示し、スペインのサンチェス首相は欧州にとって「第2次大戦以来最悪の危機」と呼び、ポルトガルのコスタ首相は「必要な措置を取らなければEUは終わりだ」と悲観論を展開、フランスのマクロン大統領も同様の警告を行っています。

 かつて欧州統合の牽引役として1985年から10年間、EUの欧州委員会を率いた90歳を超えたドロール元委員長は、EUの「生死にかかわる危険」な事態と警告を発しています。危機感は共有していますが、具体的経済対策では意見の対立が目立ち、特に優等生のドイツと欧州北部諸国は、ギリシャを含むラテン系の南部の国々への不信感を露わにし、亀裂が生じています。

 米ウォールストリートジャーナルは4月9日付けの記事で「欧州の古傷えぐるコロナウイルス」と題し、新型コロナウイルスがEU内の「債権国と債務国という、かつての色分けに沿って欧州を引き裂いている」と指摘しています。

 同紙は「EUの破綻を予言するのは、英国と米国にいる右派のEU懐疑派だったが、この数週間、欧州のエスタブリッシュメント(指導エリート層)の中枢からも悲観的な発言が出始めている」と指摘し、果たして今回の試練にEUは堪えられるのかと疑問を呈しています。

 EUは2008年のリーマンショックに続く2010年のギリシャ財政危機で、ポルトガル、スペイン、イタリアが財政破綻予備軍として懸念されました。実際、ギリシャ危機ではギリシャをEUから切り離す議論もありましたが、ドイツが中心となって巨額支援を実施しました。

 スペインやイタリアはなんとか自力で持ちこたえてきましたが、欧州北部からの支援も無視できません。にも関わらず、常に政治が不安定で経済が上向かない状況が続き、北欧系やドイツ系の北部欧州諸国はギリシャやラテン系のイタリア、スペインなどの南部諸国を軽蔑しています。

 英国が愛想を尽かしてEU離脱に走ったのも、南欧の経済運営への不信感が要因として挙げられています。今回のコロナ危機で、なんとか自力で苦境を脱することができそうな欧州北部のドイツとその周辺諸国からすれば、今回の危機で借金を重ねるとEU全体が回復不能な財政危機に陥るとの悲観論が出ています。

 席病対策の経済封鎖で補償に多額の財政出動を行っているEU加盟国の間に表面化した考え方の根本的違いは、EUにとって致命傷になりかねません。堅実なドイツでは自国内でのコロナ禍の経済被害が甚大なのに巨額債務を抱える不出来な南部諸国を支援することに対しては自国民の反発もあります。

 最近、仏独国境でドイツ人がフランス人に卵を投げたりして、嫌悪する現象が起きています。コロナ対策の遅れでコロナ感染者が急増させたフランス北部では、一部の重篤患者をドイツに搬送する事態になっており、迷惑と感じるドイツ人も増えています。

 コロナ対策ではEU加盟国の足並みは最初から揃っていません。シェンゲン協定のために協定国間では国境検問を行っておらず、域内の移動は自由なため、人から人に感染するコロナウイルスは、雲のように移動する(在仏イタリア人記者の言)ため、EU全体として対策をとらなかった3月上旬から感染者が急増しました。

 もし、世界保健機関(WHO)が中国・武漢から正確な治験を1月に得て、人から人に感染する性質の危険なウイルスと断定し、世界に警告していたら、EUは2月初旬には域外からの外来者を遮断し、今のような状況にはならなかったでしょう。今でもEUはコロナ対策で統一行動はとっていません。

 イタリアやスペイン国民は、北部諸国の緊急融資の条件を巡る要求を「冷たい」と受け止めており、ブレグジットで鎮静化していたEU離脱のドミノ現象や脱EUのポピュリズムが台頭し始めています。コロナ禍が長期化すれば、EU崩壊の悲観論は現実味を増す可能性は高いかもしれません。
ブログ内関連記事 
緊急支援スピード対応に官僚の壁 政治決定を迅速に実行するシステム構築が急務では?
極限の危機対応に文化の違い ヨーロッパのヒューマニズムの矛盾が見えてくる
遅きに失したEUの入域制限 パンデミックに晒されたEUの危機管理の弱点が露呈か
なぜ欧州が疫病大流行の中心に? EU域外からの入国制限の遅れと医療崩壊がパンデミックを加速させてしまった



DSC_0547

 850年の歴史を誇る世界遺産にも登録されているパリのノートルダム大聖堂の大火災から1年、再建工事は新型コロナウイルスで中断され、再開の目途は立っていない。火災後、これまでも何度も困難に直面し、昨年は工事関係者の安全確保が困難で本格的再建は今年に持ち越されていました。

 フランス政府は8日、感染ピークが見通せないことから新型コロナウイルス対策の外出制限令解除を当初の今月15日から延長する方針を固めました。今年は本日12日が復活祭で10日には恒例の聖金曜日の典礼が行われ、ノートルダム大聖堂では聖職者のみで実施されました。

 大火災で木造の梁でできた屋根部分や尖塔を失った大聖堂は火災後、パリを襲った熱波の影響もあり、アーチ型の天井から石材が落下し、崩落の危険が生じました。さらに火災時に流出した有害な鉛の除去に手間取り、工事関係者の安全確保第一という観点からなかなか再建工事に本格着手できない困難がありました。

 やっと工事を本格化した矢先、今度は新型コロナウイルスの蔓延で工事は中断され、マクロン仏大統領が宣言した2014年のパリ夏期五輪までの完成が疑問視されています。850年に渡り大革命や第2次大戦終結のパリ開放を含め、様々な歴史を見てきた大聖堂は、今度は未曾有の疫病蔓延のパリを記憶しています。

 外出制限令下にあるため、10日の聖金曜日は少数の聖職者と防護服を着た演奏者らだけが出席し典礼が行われました。火災で消防士によって運び出された聖遺物「いばらの冠」を希望の象徴と見なし祈りを捧げ、一般信者はテレビ中継を見守るしかありませんでした。本日の復活祭の礼拝も同じでしょう。

 ローマ・カトリック自体も今は試練の時です。イタリアでは確認されているだけでも90人以上の神父がウイルス感染で死亡しており、世界各地で教会は大量の死者の葬儀に追われ、ニューヨークのゴシック建築で有名なセント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂の堂内は異例の臨時病院になっています。

 カトリックの総本山ヴァチカンではフランシスコ教皇が祈り続けているのに合わせ、フランスのカトリック教会も新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)が早期に終息するよう各教会で祈りを捧げ、死者の葬儀に追われています。宗教の役割が改めて問われているともいえます。

 韓国では新天地イエス教会という新興宗教団体がコロナウイルス拡大の発生源になり、フランスでも東部ミュルーズにある福音派教会の集会が発生源になり、アメリカでは過激な牧師が地方都市で礼拝を強行し、社会問題になっています。本来危機的状況で人は信仰を求めるものですが、宗教への風当たりも強くなっています。

 2024年のパリ五輪に向け、再建を急ぐノートルダム大聖堂、感染拡大で3月中旬から工事は中断し、政府の外出制限令は復活祭後も続く見通しとなり再建工事再開時期は見えていません。年間毎年1,300万人が訪れる大聖堂は、現在閉館中のルーヴル美術館やエッフェル塔が封鎖解除を待つのとは違い、満身創痍のままで修復工事再開を待つ状態です。

ブログ内関連記事
パリ・ノートルダム大聖堂再建に思う5G時代到来と総合芸術の復活の足音
パリのノートルダム大聖堂の再建に無神論者・中国の協力を受け入れたフランスの宗教事情の危機的状況
ノートルダム大聖堂大火災を見つめるカトリック教徒の複雑な思い


 

hard working virus

 日本政府が新型コロナウイルスの自宅待機要請で経済危機に陥る人や企業に対して、現金支給をいつまでも渋っている状況に欧米先進国のみならず、東南アジアや中南米の途上国からも「おかしい」という声がSNS上になどに挙げられています。

 私は日本政府が「現金給付」ということに抵抗感を持つ背景に、前々から思っていることがあります。それは先進国の中で日本は返済不要な給付型の奨学金制度が貧しいこととも繋がっています。つまり、社会的弱者に対する国民の考え方とも深く関係していることです。

 日本には「働かざる者食うべからず」という労働観が昔からあります。ちょっと調べてみると、なんと新約聖書の『テサロニケの信徒への手紙二』3章10節にある「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」という一節から来ているそうです。この言葉は聖書を否定する共産主義のスターリン憲章のスローガンにもなっていたそうです。

 私個人は長い間、われわれの親の世代から聞かされた働くことが人生の全てという日本的価値観だと思い込んでいましたが、なんと2000年以上前に残された言葉が起源だったことに驚きました。しかし、実は新約聖書に残されたのは「働こうとしない者」と「働かざる者」には微妙な違いがあります。

 「働こうとしない者」は働く意志がない怠け者を指しているのに対して、「働かざる者」は単に理由はともかく働かない者を指しています。もしかしたら病気で働けない人も含まれるということです。この違いは結構大きいといえます。

 スターリン憲章第12条では、労働は労働能力を持つ全ての市民の義務と位置づけ、「各人からはその能力とその労働に応じて国家に貢献することが名誉」としています。なんだか成果主義に繋がりそうな考えカのようにも見えますが、重要なのは労働能力を持つ市民とある点で、ない人間の労働には言及していません。

 実はキリスト教の労働観は旧約聖書の最初の創世記に遡ると、西洋人が日本人より極端に長期休暇や時短をめざす理由が見えてきます。エデンの園で神が願わない堕落行為を行ったアダムとイブは、エデンを追い出される時に重い罰として、アダムに対して「あなたには働く重荷を与え」イブには「あなたの産みの苦しみを大いに増す」と神はいっています。

 つまり、労働は犯した決定的罪への罰として与えたもので、裏を返せば働くこと自体が本来、最も人生にとって重要なこととはしていないという点も見逃せません。無論、「働こうとしない者」は怠け者ですが、働く必要がない状態を理想と考える西洋人は少なくありません。

 英国では上位数%の富裕層以外を労働者階級と区分する考えもあります。つまり、先祖代々受け継ぐ膨大な資産を背景に労働より社交や社会貢献に生きる上流階級は、生活のために働く必要のない人たちです。つまり、富裕層の会社の社長や医者、弁護士も労働者階級というわけです。

 こんな話を新型コロナウイルスの事業補償や個人補償に結びつけるのはおかしいと思う人もいると思いますが、勤勉がトレードマークの日本人にとっては、働かないことは非常に悪く受け止められがちです。たとえば、夫が退職して年金生活に入ると「今日からおかずは一品だけ」という妻がいます。

 働かざる者食うべからずに徹した考えですが、もっといえば働いてお金を運んでこない人間は食事は最低限という、食べるために働く人生観です。日本人の多くは当り前に思うかもしれませんが、世界的に貧しい人間の人生観です。日本人は働くことが宗教になっているといわれています。

 では、働こうとしないのではなく、「働けない」状況をどう考えるのでしょうか。それも原因が本人のせいでない場合、どうするのでしょうか。私はかつてイタリア・フィレンツェにある欧州大学院大学のスナイダー法学教授にインタビューしたことがあります。

 彼は「生きるのが困難な人間の場合、原因は必ずしもその人のせいとは限らない。生まれながら背負ったハンディーはいろいろあるはずだ。それに政治がどう取り組むかが重要だ」といいました。彼はけっして社会主義者ではありませんが、個人の努力だけではどうすることもできない現実を支援するのが政治だという話でした。

 元気でバリバリ働くことがベストではなく、最低条件と考える日本人には、重たい運命を背負った他者を助ける考え方は希薄です。国の税金を使った支援のための「現金給付」は、労働の代価、努力の代価ではありません。そうではなく疫病で働こうにも働けない状況ができた人たちへの支援です。

 疫病は不可能力であって、個人個人のせいでもなく、人間が抵抗できることでもありません。放っておけば皆死ぬかもしれない人命に関わる問題です。東日本大震災で結構大きな復興税を払い続けることに不満を漏らしていない日本国民です。人が目の前で経済困窮で死んでいくのを見ながら法律的根拠がないといって給付に躊躇するのは文明国のすることではないと思います。

 何のための政治かが忘れられているとしか見えません。いくら社会制度も税制も価値観も文化も違うとはいえ、緊急事態に国民の困窮を助けない政府は無用です。働かざる者食うべからずのような貧しい価値観に囚われている場合ではないはずです。

ブログ内関連記事
働かざる者食うべからずの貧しい精神は世界に通用しない
国民の良識頼りの緊急事態宣言 強制力ない代わりに補償もなしで日本の危機は乗り切れるのか
一流国のソーシャビリティ習得 ホスピタリティと合わせた文明国の中身を継承するために
グローバルリスクで官僚体質露呈 リーダーの見識と心が問われている



officelpng

 日本でも新型コロナウイルスの猛威に対して、都市のロックダウンの必要性が議論されています。世界の専門家の意見を総合すれば、感染者を可能な限り洗い出し、無症状でも陽性の人たちを隔離することで感染拡大を防ぎ、重篤な患者の治療に集中し、医療崩壊が起きにくくするというものです。

 この点ではイタリアの例が分かりやすく、なぜ、あれほど急激に感染が拡大したのかという疑問に対して、イタリアでは専門家の分析が進んでいます。その結果、分かったことは無症状感染者の放置です。最初は重篤化する患者の数は少なく、ウイルスが人から人へ急速に感染する事実を掴めなかったことです。

 もし、世界保健機関(WHO)が1月の早い時期に中国・武漢の感染拡大を詳しく調査し、このウイルスの感染力を把握し警告を発していれば、世界はこのような状況には陥らなかったのは明白です。その意味では、WHOの見解を100%信じたヨーロッパの対策の遅れは当然ともいえる結果でした。

 ニューヨークやロンドン、パリでロックダウンしても、すでに無症状感染者が多くの人々にウイルスを広めた後でした。だからロックダウンしても感染者数も死者数も恐ろしい勢いで増えているのが実情です。ところが日本だけがPCR検査に未だに消極的で、ロックダウンもする可能性はありません。

 PCR検査を経済的に恵まれ、技術大国といわれる日本で大規模に実施されない謎は、今も誰も答えていません。まるでモラルと衛生観念の高い日本人にはウイルスは無縁といわんばかりです。ある意味で日本政府はWHOの勧告にさえ従っていない不思議な状態です。フランス人からは「日本の数字は何か隠しているとしかいいようがない」などといわれています。

 日本も緊急事態宣言を出したわけですが、休業補償や個人の給与補償などの経済補償に注目が集まり、欧米先進国の手厚い経済対策が引き合いに出されています。確かに事業継続が困難に陥った企業の一時解雇に対する従業員への国の給与補償や自宅待機で働けないサラリーマンへの補償、中小企業の休業補償などについてフランスは手厚いといえます。

 しかし、これは平時の社会保障システムが日本とは大きく違い、法律も異なっており、なおかつ多くの国々は戦争を前提とした有事への備えをしているので、法的整備や特別緊急予算の財源確保も日本よりは容易とうう事情もあります。日本は皆が元気で熱心に働くことを大前提としているので、疫病の蔓延への備えはほとんどありません。

 それでも、欧米の手厚い保障を例に出して、政府批判をする日本人は少なくありません。私はこれを機会に有事に強いリスク管理システム構築を急ぐべきだと思いますが、実は社会保障の手厚いヨーロッパでも問題がないわけではありません。それは官僚体質です。

 長い間、社会民主主義が信じられてきたヨーロッパでは、官僚はあらゆる局面で大きな存在で政治家以上に国民生活に影響を与えています。分かりやすい例でいえば、ヨーロッパ1の経済規模を持つドイツは、今回のウイルス対策でも他の欧州連合(EU)を圧倒する緊急予算を組んでいます。

 たとえば、人の耳目を引いたのはドイツのグリュッタース文化相の「フリーランスの芸術家、文化産業従事者にも無制限の援助を行う」という発言でした。彼女は文化は社会の付け足しで緊急時には支援の優先順位が低いという考えは、まったく間違っているとして2兆円規模の支援を表明しました。

 さらに3月30日に発表されたドイツの政府広報では、支援は「非官僚的」に実行するとし、具体的には「役所の詳細な審査を経ないで、申請書類が一定要件を満たしていれば、即時に金を振り込む」というもので制度の悪用も覚悟して政治判断としてスピードを優先するとしています。
 この「非官僚的」という言葉は、社会保障に力を入れるヨーロッパ諸国に住んでいる人間なら、誰もがピンと来る話です。というのも保障は手厚いが手続きは非常に煩雑でなおかつ気の遠くなるような時間が掛かるということを、よく知っているからです。

 政治家は国民に耳障りのいい決断を表明しますが、いざ施行が始まると非常に複雑な手続きや長い審査期間があるのが常です。実はグリュッタース文化相が表明した芸術家への非官僚的手続きによる支援は実際には問題を引き起しています。

 多くの芸術家がネット上で手続きを行った結果、対象外だといわれたり、長期に何の返事もないと訴える人が続出している話をドイツ人のフリーのバイオリニストから聞きました。そうすると芸術家の間では政府に対する不信感が高まるわけです。フランスではいろいろな申請が3カ月以上掛かるのは日常です。

 この官僚体質は、リスクマネジメントの観点からいえば、モラルハザードに近いものです。危機への対処は、当然、前例のないことに取り組むことになります。大型クルージング船のダイヤモンド・プリンセス号が感染者を乗せて横浜港に接岸した時も、英国船籍でオペレーションはアメリカの会社、船長はイタリア人、乗客乗員も多国籍という前例のないことに厚生労働省の役人はあたふたしました。

 今回、日本政府が108兆円と前例のない規模で緊急予算を表明しましたが、そこにはあまりにも多くの不透明な使途が含まれています。国民が必要とする給与補償や休業補償を受けとるには、また気の遠くなるような時間を要することになれば、持ちこたえられず自殺者も出るでしょう。

 官僚は危機には弱いということを私は指摘したいところです。特に日本の官僚には「人間」が不在していて、人命より手続きの正確さなど職人的完璧さの方に重視され、人間に意識がいっていません。危機管理には政治決断を迅速に実行に移すシステム構築が急務だと思います。

ブログ内関連記事
グローバルリスクで官僚体質露呈 リーダーの見識と心が問われている
コロナ禍押さえ込みで失うもの 強権発動で自由と民主主義はどう保たれるのか
リスクマネジメントとリーダーシップ 日本はいつも国民の従順と真面目さに助けられてきた

 

WHO_HQ_main_building,_Geneva
    スイス・ジュネーブのWHO本部

 昨年春、中国が途上国に対して巨額の資金援助と引き換えに資源確保に動いている実態が明らかになり、問題視されました。現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」構想の裏に世界支配を狙う中国共産党の恐ろしい戦略があり、財政難に苦しむイタリアにもその手が及んでいるという話でした。

 今年は、このブログにも取り上げましたが、ハーバード・ビジネスレビューの調査で、途上国が抱える中国債務の実態が国際的にはふせられており、世界の金融動向を正確に判断できない状況に陥っている実態が明らかになりました。

 いわゆる途上国を借金漬けにする中国の債務外交です。それも無償や融資の利子軽減が常識なのに、市場並の利子でなおかつ担保貸しというヤクザのような手法で、途上国を窮地に追いやっているということです。

 今回、トランプ米大統領は、対中巨額債務を抱えるエチオピア出身の世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長が中国のいいなりになり、世界をミスリードしたと批判しました。結果、パンデミックが起きた原因はWHOにあるとし、WHOの25%を占めるアメリカの分担金を払わないと圧力をかけています。

 WHOトップの前任者は中国人です。同じ国からの再任はできないルールなので、中国のいいなりになる債務国出身者で、なおかつ中国共産党の価値観を共有できる極左政党の属するテドロス氏が後任に任命されました。国際機関は今、過去にない政治色を帯びているといえるでしょう。

 問題になっているのは、国連を中心とした国際機関のトップの出身国です。たとえば国連事務総長は、国連の大国支配を避けるため小国から選ばれる慣例があります。ところが問題を抱える小国では民主主義は確立しておらず、腐敗度も高く、どんな立派な教育(アメリカの一流大学卒など)を受けた人物でも、出身国の文明度は大きく影響するものです。

 アジア人初の韓国出身の潘基文前事務総長は、歴代事務総長で最低の評価で終わりました。分断国家の苦痛を味わう国の出身者なので、世界の分断や対立状態に対して理解が深く、世界平和への貢献が期待されましたが、国連がめざす普遍性を体現する人物ではありませんでした。

 テドロス氏の場合も中国マネーに動かされているとすれば、世界の人々の命と健康に責任を持つ国際機関のトップとしてはふさわしくありません。私は個人的には、中国の操り人形に見えるテドロス氏は、自国を経済的に助けてくれている中国に逆らえないだけでなく、中国の政治的動機今も理解していないと見ています。彼の周りを囲む西洋人の感染症専門家も同じです。

 中国の一帯一路への参加に実質署名したイタリアや、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に欧州で真っ先に参加を表明した英国は、実は中国の正体を分かっていなかった。今、トランプ政権の登場でアメリカで中国の正体が明らかになる中、欧州もようやく中国への警戒感を強めていますが、それでも中国マネーに魅力を感じています。

 いずれにせよ、世界の現実からいえば、アメリカが主張するように国際社会に民主主義を持ち込むのは危険です。国連でどんな小国にも一票が与えられているのは美しい話ですが、その小国は大国の支援や庇護なしに存在できないことを考えると、大国間のパワーバランスに左右されざるを得ません。

 また、国際機関のトップに立つ人間が、自国を有利に導くことは避けられないという現実もあります。フランスはその典型で、とにかく国際機関のトップにフランス人を送り込むことに非常に熱心です。ラガルド欧州中央銀行総裁、アズレ国連教育科学文化機関(UNESCO)事務局長もフランス人です。ラガルド氏の前職は国際通貨基金(IMF)専務理事でした。

 通常、国際機関のトップは当然ながら高学歴で、それなりの国際的キャリアの持ち主です。しかし、それは知能の分野の話で、同時に人間性も大いに関係し、さらには出身国がどのような国かも関係します。人間ですからいかんともしがたいものです。

 そこに今度は国際機関のトップに送り込んだ国の外交戦略が影響を与えます。一昨年、国際刑事警察機構(ICPO)の中国人の孟宏偉総裁が中国当局に身柄を拘束されました。中国にとって何より大事なのは中国の法律と、支配政党・中国共産党の規則にあることを露骨に表したものでしたが、中国共産党にとって孟氏の利用価値がなくなったことを示すものでした。

 世界は公正さや平等という理想主義とはほど遠い現実があり、それを知る欧州は国連を駆け引きの場と心得て動いています。アメリカは距離を置いたままです。いずれにせよ国際機関を自国の利益追求のために利用しようというのは国際常識です。

 日本政府がIMFの低所得国債務救済のため大災害抑制・救済基金への資金拠出する方針を表明したそうですが、中国の借金漬けになっている国々は、その金を新型コロナウイルスの経済対策に使うより、中国に借りた金を返すことに使われるリスクもあります。国際社会での評価を上げる目的もあるのでしょうが、世界はもっとドロドロしているのが現実です。

 今回のWHO問題は、国際機関のトップを決める難しさと、覇権主義の中国の脅威が深刻化していることを知らしめるものでした。そんな国際機関に入り、多額の分担金を払うことに疑問を感じる国は少なくないでしょう。実際、WHOからはね除けられ、データ提供も受けていない台湾はウイルス対策で善戦し、高い評価を受けています。

 国際機関が信用を失い、加盟国に不信感が醸成されることは、日本のように国連を頼みにする国にとっては大きなダメージです。だからこそ、国際機関のトップを決める方法について再考が迫られているといえそうです。

ブログ内関連記事
隠蔽された中国マネーの巨額債務 世界経済は想定不能な金融リスクを抱え込んでいる
コロナ危機と自由主義の崩壊? 両者を結びつけるほど愚かなことはない 
欧州で目立つ女性リーダーには対立が激化する時代への貢献が期待されている
ICPO総裁謎の辞任は世界の警察官を辞めた米オバマ政権時代に中ロに隙をつかれた結果だ


 

 
1000px-Emergency_plate.svg

 日本政府はようやく新型コロナウイルスの押さえ込みのために緊急事態宣言を発令しました。「遅すぎる」(英BBC、米CNNなど)「強制力なしで実効性に乏しい」(仏AFP)とネガティブな反応が多く、SNS上ではロックダウン状態のニューヨークやロンドンの日系医療関係者や日系住民が、日本の危機感のなさを批判しています。

 そもそもフランスの日刊紙ル・モンドは2月27日の記事で「オリンピック開催に向けて日本政府が状況をコントロールしようと試みているが、国民の間には不満が広がっている」と伝え、人命よりオリンピックと伝えていました。世界の主要大都市がロックダウンされる中、韓国の対策措置の速さを評価する声はあっても、日本の特殊な対応には眉をひそめる方が多いのが現状です。

 そのため、私などはフランス人の親族や友人だけでなく、アメリカ、英国、ドイツ、イタリア、スペインなどの友人からも「日本の感染者数や感染死亡者数が異常に少ないのはなぜか」「日本だけロックダウンを決行しない理由は何か」という質問責めにあって困惑していました。

 そこに今度は強制力のない緊急事態宣言、給与補償もなく、様々なことが「要請」に止まることについて説明を求められています。特にフランスは外出制限に対して、しっかりサラリーマンの給与補償がされているので、日本のやり方は働く人間を軽視していると非常に批判的です。

 そもそも日本には、疫病の国家的緊急時に対応した法律が存在しません。戦争などの有事に対する法律も整備されていないのが現状です。日本政府が給与補償できないのは、外出自粛もテレワーク推奨も「要請」であって、法的補償はできないというロジックです。

 つまり、「強制」ではなく「要請」ということで、政府の国民に対する法的義務は生じないというわけですが、実際には日本の社会的慣習では、政府からの要請で、ほとんどの人がそれを守る中、誰かが無視すれば白い目で見られ、バッシングを受け、排除されるという現実があります。

 官憲が町を歩き回り、反政府分子を捕まえ、拷問したりしていた第2次世界大戦下のトラウマから、政府が強権を持つことを嫌い続けて75年が経ちました。戦争はしないがアメリカ軍に守ってもらう矛盾に満ちた「不戦の誓い」で、有事の法整備は放置されたままになっていることが、コロナショックで露呈した形です。

 リスクマネジメントの基本中の基本である緊急時の意思決定に関わるリーダーシップ、権限、責任の所在を明確にする法的根拠も曖昧なまま、これで北朝鮮がミサイルを打ち込んできた場合や中国などの他国から攻撃を受けた場合、さらには疫病の蔓延などの緊急時への備えは、他の先進国どころか新興国、途上国に比しても未整備なままです。

 日本人は政府や自治体が要請すれば、ほぼ全員が従順に従うので強制力や罰則は必要ないという考えは、自民党内にもあるといわれています。「国民の良識」というものですが、実際には政府の要請は国民に大きな不安を与えており、不安が不満に転化すれば良識は機能しなくなるのも時間の問題です。

 無論、今でも世界的に見れば日本人の倫理観は高いといえますし、上が決めることには従順に従うべきという忠誠心もある方です。しかし、それは政府が国民に不安を与えないことが前提なので、事業継続補償も給与補償も一切しないとなれば、話は別でしょう。

 国民に安心感を与えるためにはきめ細かな対応が必要です。それは日頃から国民が何を必要とし、何に困っているかに強い関心を持っておく必要があります。学校一斉休校を発表しながら、夫婦共稼ぎ世帯が大多数を占める現実で生じる問題を想定できなければ、安心は与えられません。

 要請は実は日本では強制に近い効力があることは日本人の多くが知っています。なのに補償はないというわけですから、事業の存続が脅かされ生活に困窮する事態で、戦時下のように「欲しがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ!」などと国民総動員の精神を期待することは今の時代にはできません。

 あくまで日本は他の国とは違い、高い国民の良識で危機は乗り切れるというのは幻想です。性善説だけを頼りにしては、多様化、グローバル化した時代にウイルスとの戦いに勝つことはできないでしょう。時限立法でも強制力と補償をセットにした法制化は必要と思います。

ブログ内関連記事
日本人の強い戦争アレルギー 海外から違和感を持たれる不思議な平和幻想の国
リスクマネジメントとリーダーシップ 日本はいつも国民の従順と真面目さに助けられてきた
新型コロナウイルスは聖戦主義とそっくり 世界は今ブラックスワンとの戦いの有事にあると認識すべきだ



sunset-4715004_1280

 世界は今、新型コロナウイルスのパンデミックでアメリカ経済がどうなるかに最大の注意を払っています。なぜなら、中国経済以上にアメリカは世界最大の経済の牽引国だからです。無論、リーマンショックのあった2008年に比べ、アメリカのインパクトは落ちているという分析もある一方、トランプ政権がもたらした好景気は米中貿易戦争の最中にあっても大国の面目を躍如させました。

 アメリカの新型コロナウイルスによる感染者数は6日時点で33万7000人を超え、死者数は9648人に達し、1万人超えは確実でしょう。最も感染者数の多いニューヨーク州の死者が24時間の間に594人増え、4159人に達した一方、1日あたりの死者数が初めて前日(4日、630人)を下回りました。

 専門家の間では今週がアメリカにとって最大の正念場だとする一方、広大な国土を持つアメリカではイリノイ州やミシガン州、南はフロリダ州やテキサス州、西部ではネバダ州やカリフォルニア州など大都市を抱えた州の感染拡大が懸念されます。

 ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)とムーディーズ・アナリティックスの分析では、パンデミックで「アメリカ経済の少なくとも4分の1が稼働していない」ことが指摘され「アメリカ国内ではすべての郡の8割がロックダウン下にあり、これは国内総生産(GDP)の96%近くを占めている」「米国内の1日当たりの生産は、閉鎖が相次いで発表された直前の3月第1週と比較し、約29%減少している」としています。

 アメリカでは大恐慌の1929〜33年にGDPが年間26%減少していますが、それ以上の減少が専門家の間で予想されているということで、リーマンショックどころか、大恐慌時代を上回る経済危機が訪れているという背筋が寒くなる予想が出ています。

 トランプ大統領を無能と見なす日本の政治経済の専門家は、現政権はこの経済強硬を脱する出口戦略など考えていないと見ているようですが、私はそうは思っていません。大統領選挙を控えたトランプ大統領が経済がどん底に堕ちたままの状態で戦えるとは思えないからです。

 それと大恐慌やリーマンショックは人災の部分が大きいわけですが、今回は天災に近いもので、世界が同時に直面している問題です。ペストやスペイン風邪の流行に匹敵するもので、エコノミストだけでは簡単にリスクを試算することはできません。

 むしろ、私個人はこのパンデミックが人の心に与える影響に注目しています。同時にロックダウンなどの措置をとった場合も、政府と国民の信頼関係の程度が露呈しています。スペインでは外出禁止令違反者が36万人に登っているという数字もあります。

 基本的に疫病対策は国家が取り組むべきものですが、たとえば移民を多く抱える国では、移民、難民の愛国心が醸成されにくいフランスのように、なかなか彼らは政府のいうことに従いません。国民同士の共感度も非常に低いといえます。国民の良心基準が高い国では国家が強権を発動しなくとも、一定のモラルの働きが期待されます。日本やスウェーデンはそうかもしれません。

 世界で100万人を上回る感染者が出ている今、どこかの国で終息しても他の国で拡大が始まり、世界の移動が自由にできる日は遠いように見えます。

 WSJは「通常であれば、死亡率やリセッション、弱気相場などの特定の事柄について過去の確率が十分に分かっており、将来のリスクを定量化できる。だが現在はリスクだけでなく、米経済学者フランク・ナイトが定義するところの”不確実性”にも苦慮している」という同紙の経済担当チーフコメンテーター、イップ氏の意見を掲載しています。
 
 今われわれは、WHOを含め、世界の感染症の専門家の説明を毎日のように聞き、にわか疫病専門家のようになっていますが、結論的にはウイルス同様、先はまったく見えないということです。つまり、われわれは人知では計れない状況に置かれているということです。

 このような時は、怪しい集団を含め、宗教者の言及があっておかしくありませんが、逆に韓国やフランスのように感染拡大を無視して大集会を強行し、感染拡大をもたらしたり、アメリカの一部教会牧師が礼拝を続けていることで、宗教に対する反感が生まれていることは残念です。

 私個人はこのパンデミックの危機で心をリセットすることが重要と考えています。冷戦終結から30年が過ぎ、経済中心の世界は大きな岐路に差し掛かっているといえます。人間が本当に自分と周りの人々を満足させられる状況をつくるために何をすべきか自宅でじっくり考える時だと思っています。

ブログ内関連記事
隠蔽された中国マネーの巨額債務 世界経済は想定不能な金融リスクを抱え込んでいる
コロナ危機と自由主義の崩壊? 両者を結びつけるほど愚かなことはない
グローバル経済活動一時停止 超ポジティブ思考で乗り越える精神力とは
新型コロナウイルスは聖戦主義とそっくり 世界は今ブラックスワンとの戦いの有事にあると認識すべきだ