安部雅延のグローバルワークス Masanobu Abe Global Works

国際ジャーナリスト、グローバル人材育成のプロが体験を踏まえ現在の世界を読み解きグローバルに働く人、これから働く人に必要な知識とスキルを提供。

フリーの国際ジャーナリストで、フランスのビジネススクールで長年教鞭を取り、日産自動車始め多数の大手企業でグローバル人材育成を担当した安部雅延が、国際情勢やグローバルビジネスの最前線を紹介し、豊富な経験を踏まえた独自の視点で世界を読み解くグローバルトーク。

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 北大西洋条約機構(NATO)への加盟を希望していたスウェーデンは、鬼門といわれたハンガリーが反対を取り下げたことで、加盟が可能になりました。全北欧諸国の加盟は、バルト海でのロシアの防衛を危うくするもので、ウクライナ侵攻でのプーチン露大統領の最大の誤算とも言えるものです。

 領土保全や覇権にとって、陸だけでなく、空と海、河川を制することは極めて重要です。ウクライナはロシア軍に対して劣勢ですが、スウェーデン軍がNATO軍に加わる影響は小さくありません。世界最大の軍事同盟であるNATOにとっては大きな前進です。

 ここで注目されたのは、ハンガリーのオルバン首相です。独裁者のカテゴリーに入れられているオルバン氏は、ロシア寄りで知られ、ロシアへの経済制裁を急ぐ欧州連合(EU)にとっても、NATOにとっても頭痛の種です。果たしてオルバン氏は西側にとって好ましくない指導者なのでしょう。

 今、一般的に言われれる西側諸国の健全性の尺度は、自由と民主主義、社会的公正さ、法による支配、人権尊重などとされています。逆に権威主義の国は強権的統治が行われ、政治指導者は独裁的で、言論や信教の自由が抑圧され、場合によっては反体制派は逮捕されたり、殺害されている国々を指します。

 その意味で東西冷戦後、民主主義国家となったはずのロシアは、選挙で指導者が選ばれていますが、権力の集中と維持を望むプーチン氏は、独裁者と呼ばれ、権威主義国家とされています。

 民主主義のリスクは、数の論理が最大限の影響を与え、正しい判断を下すはずの有権者に十分な知識や政治的関心がなく、政治家を選ぶ明確な基準がなく、その時の世論や国民感情に左右されやすい場合、間違った指導者を選ぶ可能性が高いことです。

 逆にリスクを知りつつも民主主義体制を望む声が大きいのは、ヒトラーなどの独裁者が支配した過去の歴史で悪い経験が圧倒的に多かったことが、独裁政治=悪となり、結果的に中露、イラン、北朝鮮などを権威主義国家として危険視しています。

 では、オルバン氏はどうなのか。基本的にEUに加盟する条件には自由と民主主義、法の支配が基本にあります。ところがEUが東への拡大を急いだ理由は、ロシアの脅威を防ぐためでした。東西冷戦で分断されたヨーロッパを一つのヨーロッパに取り戻すことは急を要する課題でした

 中東欧諸国が多くの課題を残しながら、EU加盟を果たせた最大の理由は、二度とロシアによる侵略を受けないためでした。なぜなら社会主義を捨てたロシアの正体をヨーロッパは熟知していたからで、イデオロギー対立が起きる前の帝政ロシアの頃からロシアはヨーロッパに脅威を与えていました。

 冷戦後に初めてロシアがその牙をむいたのは、北京五輪の開会式の時にジュージアに軍事進攻したことでした。力による他国領土への侵攻は、国際ルールに反した行為でした。

 当然、EUに加盟した中東欧の国々はソ連共産党に長年支配され、民主主義は未経験です。欧州法の専門家、スナイダー欧州大学院大学教授は「民主主義の定着には100年はかかるだろう」と私に指摘しました。独裁政治が指摘されるハンガリーやポーランドの事情はそこにあるのです。

 しかし、オルバン氏は単なる独裁者かといえば、彼はインタビューで「EUに加盟したことで、最も恐れるのは、西側に巣くうリベラル思想がハンガリーに流入することだ」と主張しています。無論、敵視されている西側リベラル派は反発し、悪人扱いしていますが、保守派は理解しています。

 彼は伝統的カトリックの家族の価値観を維持し、家族を持つ国民に手厚い支援を行っています。その一方でリベラル化に対抗し、LGBTの排除など宗教的信念に基づく政策を推進し、一定の支持を集めています。リベラル派が独裁者のレッテル張りをするオルバン氏は、ヨーロッパに本来あった価値観を維持しているにしか過ぎません。

 多くのメディアはリベラル化に反対する勢力を独裁者、ポピュリストと決めつける風潮があります。その典型がトランプ前米大統領とも言えます。彼は在任中、ホワイトハウスの敷地内に聖地を設け、職員の祈祷会もしていました。それはリベラル派の心を逆なでしました。

 リベラル派は言論の自由を主張しますが、自分たちと考え方が合わない組織や人々の主張をヒステリックに排除するキャンセリングカルチャーを持っているのは矛盾です。物事を正しく理解するのは容易でないことだけは事実です。

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 世界三大投資家の一人、ウォーレン・バフェット氏率いる投資会社バークシャー・ハサウェイが持つ日本の五大商社の株式の同社保有比率が約9%に達したと報じられた。日本株が1989年の最高値を超える上昇に繋がった因がバフェット氏の日本株買いにあるのは間違いないと思われます。

 浮き沈みの激しい投資業界で、バフェット氏の実績は理にかなった銘柄選択にあることは世界的に知られている。それは、内容を理解していること、将来にわたり長期的に好ましい業績が見込めること、経営幹部が誠実で有能な人々であること、魅力的な価格で購入できることとChatGPTは答えています。

 バフェット氏は日本の商社株を買うまで、日本株に手を出すことはないことで知られていました。理由を聞かれて「日本企業について十分な知識がなかった」と答えています。無論、日本人の誠実さは世界的に評価されていますし、短期的成長に終わるギャンブル企業は日本には多くありません。

 これだけ五大商社株を買い、次は金融や保険業界株を注目していると言われるバフェット氏ですが、「将来にわたり長期的に好ましい業績が見込める」企業価値を日本企業に認めていることは注目に値します。つまり、30年前に世界のトップ10銘柄の大半を占めた日本企業が不在な中、復活を確実視しているという事です。

 日本の名目GDPがドイツに抜かれ、世界第4位となったことは、海外に住む日本人としては寂しいものです。慰めは日本を旅行した外国人の日本の評価が極めて高いことで、特に礼儀正しさと清潔さ、安全性、豊かな食文化で文句なく高い評価を受けていることです。

 一方、日本では世代交代が進まず、バブル崩壊で失った自信喪失を未だに引きずる経営者がドラスティックな改革に取り組む意欲もなく、政治家に至ってはお粗末な利権政治から抜け出すビジョンも持たない人間の山です。高い見識を持たない人間に指導者を任せるのは自殺行為です。

 バブル崩壊から10年とはいえ、今から20年前にはアメリカと日本の実質名目GDPを合わせた値は、世界を圧倒し、3位のドイツは日本の半分しかありませんでした。それから8年後には中国に抜かれ、今年はドイツにも抜かれました。

 無論、名目GDPだけで経済力を図るのはナンセンスなことは、中国を見れば一目瞭然ですが、今の日本の株高をどうとらえるかは重要なテーマです。それに海外投資家が見ている日本は正しいのかも知っておくべきでしょう。

 今から10年前、デフレ脱却にあえぐ日本では、専門家から4つの課題が口を揃えたように示されました。1つ目はコンプライアンスを含むガバナンス、2つ目は生産性向上、3つ目は賃金アップを含む人への投資、4つ目はダイバーシティ効果をけん引するグローバル人材育成でした。

 それは今でも変わっていませんが、残念ながら大半の企業経営者は4つの課題を頭で理解しつつも「自分事」として受けとめられず、決定的方向転換を行った企業は少ないと思われます。 

 それに日本を取り巻く環境は、30年前より深刻です。低成長しか経験していない1990年以降に生まれた世代は、好景気は経験していません。超内向きでメンタルは弱く、逆境に耐え、世界に乗り出す精神的強さは過去の日本の歴史を見ても貧弱と言えるでしょう。

 加えて終身雇用の終焉で転職が当たり前となり、自分で人生の荒波を乗り切る必要に迫られ、将来不安は大きさを増し、少子高齢化で老後に備える資金にも不安があります。

 デフレの長期化で、消費者は100均などで安物買いに慣れてしまい、ウクライナ紛争やイスラエル戦争を見て不確実な時代にあることを実感し、経済を押し上げる高額商品の消費は控えられています。

 さらに人の問題は大きく、これは海外からは見えにくいものです。専門家の中には、今後、株価は暴落すると予言する人もいます。中国、韓国、台湾のようにアメリカに追いつけ、追い越せの精神がない日本は、精神的老化が進むヨーロッパと同じようにポジティブマインドを取り戻せない状況です。

 とはいえ、せっかく世界から資金が流入している状況で、企業がやるべきことの優先順位は、安易に新規事業に手を出すよりも、ガバナンスを強化し、生産性を上げ、グローバル人材を育成するために人への投資を増やすことで経営体質の強靭化を行うことだと私は考えています。

 そのためには、年齢や経験にとらわれず、根底から悪い慣習を変える企業改革を担える人材をトップに登用することです。それはプロパー人材ではなく外部からでも構いません。

 特に意思決定に関わる人材の育成は極めて重要です。人への投資において、今重要なことは人材管理のヒューマンスキルを超えて、事業コンセプトを決め、人と予算を組めるコンセプチュアルスキルを30代で習得することです。そのためには若い時から重要なポジションを与えることが重要です。

 末端の兵隊を養成することの得意な日本は今、指導者教育に多くの予算と時間を割くべきでしょう。これが唯一「社畜」という言葉を排除する道だと思います。

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 パリ国際農業見本市(Salon International d'agriculture)は、フランス国内最大の農業見本市。今月24日から3月3日まで開催されます。個人的にも30年前から通うワクワクする一大イベントです。世界最強のグルメの国を支える食材が大農業国で作られていることを実感することができるからです。

 フランスを旅行したい日本人にお奨めの見本市で、その場でフランス料理を満たす食材、ワインなどを買うこともできます。今年は長いコロナ禍で低迷した見本市も完全復活しましたが、暗雲が立ち込めています。理由は農家が政府の農業政策に抗議で全国規模のデモが行われているからです。

 農業経営者団体全国連合(FNSEA)と若い農業者たちは農業見本市の前夜の抗議デモに加え、初日の大統領府が呼び掛けたマクロン大統領と農業従事者との対話集会はFNSEAが参加を拒否したため、中止になりました。

 実は農家の抗議デモはフランスのみならず、スペイン、ベルギー、ドイツなど欧州全体に広がっています。農家は化学肥料や殺虫剤などの農薬の使用制限や休耕地の確保、欧州連合(EU)内での規制の実施状況のバラつきから、加盟国間の農産物価格が一定でない現状などがあります。

 加えて、EU基準からははるかに規制の緩いウクライナの農産物が流れ込み、しかもこれまでは関税もかけていないため、消費者は安価なEU域外からの農産物を購入し、地元農家に被害を及ぼしています。そこにコロナ禍、ウクライナ紛争によるエネルギー価格高騰、インフレが重なりました。

 一方、政府はEUの掲げる2050年まで脱炭素をめざすグリーンディール政策を打ち出し、結果的に農家を苦しめてきました。欧州の農業は一方で脱炭素のための農業機械使用の制限や遺伝子組み換え作物の追放、健康被害をもたらす農薬の使用制限等で、農業生産コストはかさむばかりです。

 しかし、毎年の熱波到来や干ばつという異常気象も農家を苦しめており、それでもフランスなどは高い環境政策目標を掲げ、世界の優等生を目指してきたわけですが、限界に達したという事です。

 EUの欧州委員会のフォンデアライエン委員長は今月6日、欧州議会の演説でEU理事会および欧州議会との調整を進めてきた持続可能な植物保護剤(PPP)の使用に関する規則(SUR)案を行政当局に撤回するよう求めたと述べ、さらに2040年までの達成目標からも農業分野の目標は削除されました。

 実はSURは欧州議会が昨年11月に否決し、当時、議会の右派と極右派は、主要な農業組合と同様にこの否決を歓迎していました。環境保護政党側は議会が「私たちと私たちの子供たちに暗く困難な未来を約束する道を選んだ」と遺憾を表明しました。

 現時点での制定は難しいと判断、2030年までEU各加盟国が化学肥料の使用を50%に削減することを骨子とした準備中の法案もとん挫し、EUの環境政策は今、後退を余儀なくされています。

 リベラルメディアの仏日刊紙ルモンドは「EU全体が環境問題に逆行したのは初めて」と指摘し、実現に痛みを伴うグリーンディール政策に対する自国民(特に農民)の強い抵抗に遭い、規制緩和を求める加盟国首脳が増えたと指摘しました。

 さらにルモンドは「大多数の加盟国は規制を緩め、議会は右派や極右による支配を許している」と環境対策の方向転換を批判しましたが、国家の食生活を支える農家を批判するわけにはいきません。

 筆者は30年以上、EUの動向を見守ってきましたが、彼らの問題の一つはEU官僚主義です。頭のいいエリートで固める欧州委員会が机上で決めた政策は、どれも現実離れし、英国のEU離脱の一因となりました。農業は大都市のエリート官僚の対極にある存在で、農家の声は反映されにくいのが現状です。

 本来、各加盟国が持つ農業及び環境政策に関する権限を委譲されたEUは、過去20年間は共通農業政策(CAP)である欧州農業の発展と支援を目的に生産性や効率性を追求してきました。生物多様性保護のため農場の4%を休耕地とすることで環境にやさしい農業を推進したのも、その一環でした。

 ただ、移行に必要な経済的存続条件への配慮が不足していたのは事実です。問題は農民に決定権が与えられていないことです。例えば農産物の価格は小売業、流通業者が農家に押し付けており、農家には価格の決定権はありません。結果、生産コストを下回る価格で損出を出したりしています。

 農業見本市は、そんな問題を抱えた状態で開催されました。マクロン2期目の政権は、与党が過半数の議席を持たず、マクロン氏は国民の声を聴いて政治を行うと約束しましたが、どうやら十分に聞く耳を持っていないように見えます。

 

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 今、アメリカだけでなく、世界中でドナルド・トランプ前大統領の再選を懸念する論調が、リベラルメディアを中心に高まっています。しかし、ビジネスの世界では剛腕のディールスタイル重視のトランプ再登場への期待も高まっている現状は見逃せません。

 大統領選の予備選でトランプ人気が圧倒的な状況の中、2021年の連邦議事堂襲撃を支持者にけしかけた問題に始まり、税金問題、女性問題など、バイデン米現大統領からの攻撃材料は非常に多くあります。最近ではウクライナ軍事支援に後ろ向きな発言について、バイデン陣営は批判の声を高めています。

 トランプ追い落としのためなら手段を選ばない成功体験の一つは、前回の大統領選で投票に郵送システムを導入し、不正が表面化したのに疑惑は封じられたことです。今はバイデン政権でアメリアに入り込んだ不法移民に順次滞在許可を与えることで、移民票の票固めは確実です。

 アメリカは、海外から見れば、自由と民主主義の砦とか、東西冷戦時代から反共路線など、国際秩序を守る世界の警察官的存在に期待感が高いわけですが、実はアメリカに住む友人たちは40年前から競争に勝つのは好きだが、海外での出来事に興味を示す人は殆どいないと口を揃えて言っていました。

 自由と民主主義のためなら命を懸けるという考えは、アメリカを攻撃する相手に対する戦いに価値観を持たせただけで、一般国民にとっては日々の生活最優先なので、驚くほど世界に無知で自己完結した国です。隣りの週が外国という感覚で、ヨーロッパは遠く、ましでアジアはさらに遠い存在です。

 ウクライナ紛争で、ウクライナのゼレンスキー大統領は、「自由と民主主義を守るための戦い」と紛争を定義づけましが、今の西側諸国が強く共感しているかは怪しい状況です。特に仏独などは、冷戦の時代でもあるまいし、できれば嵐が過ぎ去り、ロシアとの関係も元に戻したい政治家は山ほどいます。

 トランプ氏はディールで問題解決するタイプなので、その価値観は「損得勘定」です。国益にかない、アメリカが人が結果的に得をするのであれば、ならず者国家にミサイルを撃ち込むことも躊躇しません。

 前回のトランプ政権では、そんなトランプ氏に非常に頼れる相棒がいました。それは先進7か国(G7)の古株で国際的信頼の厚い故安倍晋三元首相がいたからです。

 トランプ氏の性格を十分理解した上で、何をすれば国益に繋がり、何をすれば国益を結果的に害するかをトランプ氏に説明し、自由主義陣営をミスリードしないよう、うまく誘導していました。

 その安倍氏がいなくなった今、負けづ嫌いで目先の損得に走りやすいトランプ氏がちゃんとして助言者もいないでやれるか大いに疑問です。

 しかし、ならず者国家でもビジネスを展開するビジネスマンにとって、負けず嫌いでアメリカの国益のためなら何でもしそうなトランプ氏は、原則論、理想論ばかり掲げ、問題解決できないバイデン氏よりは頼もしい存在です。

 欧米の財界人は、日本の財界人と違い、ならず者国家に媚びを売り、八方美人的ではありません。いいか悪いかは別にしても過去には先に力で抑え込んだ上で有利な立ち場を利用してビジネスを展開するのが常でした。今の中国のようなものです。

 国力で圧倒するという意味で、国家指導者はまず、舌戦に勝つのは必須条件です。それはバイデン氏にはなく、ビジネスマンを困惑させています。逆に負けず嫌いのトランプ氏は何でも勝ちたい勝負師で、ビジネスマンには心強い味方です。

 今はならず者国家の数が増え、その追随者であるグローバルサウスが国連で発言権を増しています。しかし、現実には頼りになる警官が必要です。世界のルールを無視する中国やロシア、イラン、北朝鮮を抑えこめるリーダーは不可欠です。

 無論、助言者を持たないトランプ氏は危険です。実際、トランプ政権では多くの側近が離れています。個人的に安倍政権で見せたように日本の存在は日本人が考える以上に重要です。

 ウクライナへのロシア侵攻前、日本がEUを通じて経済支援を表明した際、欧州指導者は「遠く離れたリスクが直結しない日本からの支援に感動した」との声が上がりました。地道に積み上げてきた国際的貢献による国の信頼度は今も高いままです。

 この信頼を活用し、ウクライナ紛争、イスラエル戦争の終結に大きな役割を果たすことを期待したところです。



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 ドイツで18日まで開かれたミュンヘン安全保障会議では、ウクライナは米議会の支援予算の承認が遅れている問題に危機感を露わにしました。アメリカの支援が滞ればロシアの攻勢を阻止できなくなり、実際、東部アウディイウカからの撤退を余儀なくされています。

 この紛争でウクライナを最も支えてきた米国は、11月の大統領選を控え、支援策も政治の道具と化している感があります。さらに開戦から2年が経ち、支援疲れも広がっており、3月の大統領選を控えたプーチン露大統領に有利な風が吹いているようにも見えます。

 ミュンヘン会議で欧州各国の軍事費拡大は一定の評価を受けました。北大西洋条約機構(NATO)のストルテンベルグ事務総長は2年前の開戦当時、「東西冷戦終結後の枠組みを根底から覆す出来事」との認識を示しましたが、欧州連合(EU)内には、支援を巡り、今でも温度差があります。

 ストルテンベルグ氏は今月14日、NATO加盟31カ国中18カ国が今年、国防費を国内総生産(GDP)比2%とする目標を達成する見通しを示しました。これは過去最大規模の総国防費増加で、欧州加盟国の今年の国防費は総額3800億ドルとなる見通しです。

 2023年時点でNATO加盟国のGDPに占める国防費の割合は、ウクライナの隣国、ポーランドが4%に近づいているのを最高に米国、ギリシャ、エストニア、リトアニア、フィンランドと続き、2%を超えていたのは31カ国中、10カ国でした。

 例えば、フランスは当初予測で2024年に国防予算にGDPの1.94%を支出する予定で、早くても2025年までは2%に達しないと予想されたのが、今年、2%に達すると発表され、劇的増加をもたらした加盟国の1つです。

 ストルテンベルグ氏は残る13カ国に対しても、米国との不公平感がぬぐえない現実の払しょくのため、圧力をかけています。

 しかし、軍事費を増やしてもウクライナ支援を含め、軍事力に繋げるには時間軸があります。米国とNATOに長年依存してきた欧州の武器備蓄不足は深刻で、独最大の防衛企業ラインメタルのアーミン・パペルガーCEOは最近、欧州が自国を完全に防衛する準備が整うまでには10年かかるだろうと述べています。

 欧州各国の不安は、自国防衛も怪しいのに、ウクライナ支援が長期化し、ウクライナに供給される武器弾薬が増えれば、自国の防衛も十分に行えないという懸念が広がっていることです。

 東西冷戦終結後、アメリカに依存してきたNATOの現実は、トランプ前米大統領が厳しく批判したように軍事費を抑えながら、経済発展する平和ボケが続いてきたということです。つまり、ウクライナ紛争ではじっめて自主防衛意識が目覚め、やっと武器弾薬の備蓄を増やす入り口に立ったレベルです。

 ウクライナがロシアからの進行を食い止めているのは、欧米支援が大きいわけですが、ロシアの最大の誤算は、ウクライナ国民の国を守るための強烈な愛国心あってのことです。それに比べれば「民主主義を守る」という大義を口にしながらも、ウクライナ国民の精神とは雲泥の差です。

 無論、弾がなければ精神だけでは相手に勝つことはできませんが、欧州には弾も精神もない状態です。武器弾薬の十分な備蓄に戦争は待ってはくれません。相手は反政府勢力の指導者の暗殺までして戦う意志は高まっています。

 備えあれば憂いなしはリスクマネジメントの基本中の基本です。米国が支援から手を引けば、ウクライナという国が消滅し、ロシアに併合されるのも時間の問題でしょう。

 

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 今から10年前、デフレ脱却にあえぐ日本では、専門家から3つの課題が口を揃えたように示されていました。1つは生産性向上、もう一つは賃金アップ、3つ目は早急なグローバル人材育成でした。それは今でも変わっていませんが、残念ながら、大半の企業経営者は3つの課題を頭で理解しつつも自分事として受けとめられていません。

 課題が見えているのに、そこに焦点を当て、優先順位を決める決断ができないのには日本人独特の事情もあります。それは理念優先型ではなく、帰納的で経験値依存のマインドにとどまっていることです。それに間違うことへの極端な恐怖心もあります。

 一神教でもない日本で演繹思考はありえないわけですが、やることは分かっているのに一歩を踏み出せない決断力のなさには商機を失います。上海で企業を立ち上げ10年間育ててきた日本人の友人が、いつもいう話は「目の前にチャンスがあるのに動かないのが日本人だ」と言うことです。

 石橋を叩いているうちに、その橋を渡る意味もなくなり、商機は去っていくケースが急増し、不要な慎重さが衰退を招いています。失敗を恐れないことで知られるアメリカ人は失敗することより、失敗から学び、次にどんな手を打つかに繋げることが重視されています。背景には圧倒的なポジティブ思考もあります。

 政府の圧力で労使ともに賃金アップに舵を切ったわけですが、物価上昇分で計算すればプラス成長にはなっていない。20年前、1部の専門家は日本の賃金は先進国の中でも高いという人もいたが、今、それを言う人はいません。

 もう一つの事情は、いつまでたっても世代交代が緩慢に事です。古い人たちの保身もあるでしょうが、組織が能力ではなく人間関係で成り立っている場合、人を適材適所に配置できない事情もあるでしょう。

 なぜ、自分事として重要な課題について受け取れないのかといえば、日ごろ、目の前の仕事に追われ、長期的視点を持てない事情もあります。経験主義では自分が経験したことのないことを指導できないという事情もあるでしょう。生産性軽視の経験しかない上司は何を指導したらいいか分かりません。

 今、きわめて日本の状況は深刻です。今、ビジネスの世界で求められるダイバーシティ、主体性、エンゲージメント、モチベーション、グローバルマインドは、今の若者が最も苦手なことです。つまり、人材育成が直面するビジネス課題に取り組む最優先事項です。

 グローバルスタンダードは、部下を尊重し能力を引き出し、育てることができる上司が評価され、そんな会社に人が集まっていることです。上司への斟酌は時代遅れです。

 結論からいえば、部下を育てるための中間管理職以上をどう育てるかです。20代から30代の社員の研修でもヒューマンスキルだけでなく、コンセプチュアルスキルも養成しておく必要があります。

 

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 コロナ禍明けのインバウンドが進む日本で、鍵を握る一つは食文化にあるのは間違いありません。この20年間、世界で最も外国人旅行者を集めるフランスでも、世界遺産という観光資産と同時に人を集めているのは食文化です。私の長年の経験でフランスを旅する観光客の多くは食べることに高い満足を示しています。

 日本の強みの一つは和食の世界的普及です。健康ブームの追い風の中、「和食は健康にいい」という認識は、すっかり定着しているおかげもあって、男女、年齢問わず、和食の評価は定着しています。グルメの国フランスのパリ首都圏の和食レストランは1200軒を超えています。

 それを支えているのが和食の創造性です。日本人の強みは海外から輸入されてきたものを含め、ただコピーするだけでなく、そこから展開する創造的思考錯誤が、オリジナル以上のクオリティを生み出せる能力です。その進化させる能力こそ、日本の発展の源泉でした。

 無論、今求められているのはゼロベース思考です。「無から有を生み出す創造性」です。いわゆるアート思考のスキルが問われているわけです。コピーからの創意工夫ではなく、普遍性を持った人間の生活の質向上に圧倒的に役に立つ製品やサービスを生み出す力です。

 そのためには自分を深堀する必要があります。コピーしたもののアレンジだけでは長続きしません。実は今、美術市場で非常に安定した評価を得て不動の価値といわれる印象派絵画は、西洋美術が職人から芸術家に飛躍した先進性が評価されているわけですが、そのきっかけが日本美術にあったことは知られていません。

 浮世絵などの日本美術は、新しい様式を模索していたフランスに集まる才能豊かな芸術たちに大きなヒントを与えてだけでなく、西洋美術を根底から変えてしまいました。

 つまり、コピーしたものをアレンジしたレベルでなく、個人の個性を前面に出す新たな芸術を生み出したわけです。

 技術面でいえば、500年前にダヴィンチが確立した空気遠近法や輪郭を描かない技法は究極までを自然に近づけるもので、500年間疑問を持つ者はいませんでした。

 一方、浮世絵は輪郭で成り立つ技法で、輪郭で立体のフォルムを表現しており、西洋的遠近法なしに遠くの富士山、近くの草花を見事に描き出しました。さらに西洋美術が軽蔑していた装飾性も備えていました。

 皮肉なことに明治維新以降、西洋文化が大量流入した日本で日本美術が飛躍的な進化を遂げることはありませんでした。近代日本美術が世界に大きなインパクトを与えることはなく、ごく少数の日本人美術家が世界の美術市場で認められているだけです。

 原因の一つは敗戦後に日本が選んだ個性を軽視した画一教育による企業戦士を排出するシステムにありました。パリのように世界中から才能溢れる芸術家が集まる土壌は育ちませんでした。つまり、教育手法が集団教育しかなく、個別教育は置き去りにされ、アート思考が育つ環境は無視されました。

 それでも商売のために、他と差別化する必要に迫られ、特に創意工夫を繰り返したおかげで、和食は世界で魅力を放っています。 

 もともと優れた舌を持つ日本人は、食文化の追求は世界的に見て有利です。あまり知られていない話ですが、食べることは宗教において制限されることが多く、宗教が食文化の発展を妨げています。しかし、日本の仏教は動物を食べない教えに従う僧侶の食生活で精進料理が生まれ、今ではビーガンの間で世界的に注目されています。

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     私のアート生活、最近描いたパステル画(見たものを見たままに)

 私は今までフランスの優れたシェフたちにインタビューしてきましたが、彼らの驚きは通常食文化をけん引するのは贅沢を追求する貴族文化ですが、日本では大衆文化も食文化の進化に大いに貢献していることだと言っています。彼らの分析では日本人の味覚の平均値が高いことを挙げています。

 私の好きな言葉に「人類の叡智」というのがあります。その集まる「場」を作ることも重要です。1990年代初頭のエコール・ド・パリの時代のパリがそうでした。それはアメリカに移り、その後、世界に拡散し、特定の場ではなくなりました。今はネット上なのかもしれません。

 異文化の人々が集まったパリから新しい創造のエネルギーが発揮されたのは、問われるゼロベースの創造を支えた重要な要素です。アート思考の養成に異文化体験が貢献することは、ハッキリしています。

 まずは、自分の生活の質を高めるための創意工夫から取り組むことで、アート思考を高め、結果的にビジネスにも反映させることに繋げていくことが重要かと思われます。

 

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 今年は世界で重要な選挙が追いつぐ「国政選挙の年」です。それもウクライナへのロシア侵攻以来、東西冷戦の枠組みが壊れ、さらに中東の火薬庫イスラエルで近年にない規模の戦争が起き、世界は未曽有の混乱が続く中で、どんな政治リーダーを選ぶのかが問われる極めて重要な選挙の年です。

 専制主義の国々はロシアのように表向き選挙を実施しても、独裁者の影響が圧倒的ですが、民主主義の国々の選挙は重要です。1月に台湾総統選挙を終え、今月はインドネシア大統領選挙、3月はロシア大統領選挙、4月には韓国総選挙、4月から5月にかけてはインドの総選挙があります。

 6月にはメキシコの大統領選挙、同月の欧州議会選挙も気になるところです。そして11月には今後の世界情勢を大きく左右するアメリカの大統領選挙を控えています。これだけの選挙が重なる年も珍しいと言えますが、企業と異なり、有権者が選ぶ選挙です。

 忘れてならないのは、冷戦以降の国政選挙で、既存の権威あるメディアの選挙予想が当たったことはないことです。たとえば、2016年のアメリカ大統領選でトランプ氏が人気の高いクリントン氏に競り勝った時も、既存メディアはトランプ追い落としに躍起で、選挙結果を受け入れられませんでした。

 今はSNSの時代で、言論の自由が認められた国々では有権者の選挙行動に大きな影響を与えています。マスコミが入手する従来型のデータの分析は通用しなくなっています。

 結果的に有権者個々人の認識が選挙に反映されるという意味では、誰もが自由に意見を言える民主主義は成熟しているようにも見えます。そこで提供されるマスコミの情報は限定的になりつつありますが、一方で大したリーダーが世界的に見ても見当たらないとの声もよく聞かれます。

 イデオロギーから経済中心に移行した冷戦以降、高い見識や人格、人望より、生活を豊かにし、企業は利益を出せる環境づくりで結果を出してくれる人物が選ばれるようになりました。荒唐無稽な政治理念を掲げるリベラル派も時代の変化への対応に緩慢な保守派も苦戦するのが今の時代です。

 そこで激動する国内外の情勢に対処できるリーダーを選ぶ基準が問題となっています。個人的には知識や処理能力といった外的能力は教育のおかげで底上げされてきたと思いますが、人間性は置き去りになっているという印象です。

 結果として大統領になってはいけない人物が大統領になり、国をとんでもない方向に導く事態も発生しています。ここでは政策の中身を論じる前に、国家のリーダーとして資質を考えておきたいと思います。

 私は何よりもまず、政治リーダーになりたい人間の動機を最重視したいと思います。その基準は国民のためと自分のためという目標のバランスです。英語でアンビションという言葉がありますが、いい意味では「大志を抱け」というクラーク博士の有名な言葉があります。

 一方で日本語では野心と訳されることの方が多いようです。本来、野心はいい意味では使われません。悪い意味とは自己中心という事で、他を蹴落とし、実力以上の評価を得るための人脈を築き、野心を実現しようというものです。日本では無私という精神が重視され、野心は対極にあるものです。

 人間には公的に尽くして多くの人々に感謝されたい欲望と、自分を愛するナルシズムが存在します。このバランスが大志の場合は前者が重視され、後者の比重は小さいのに対して、野心は後者の比重が前者を上回るという事です。

 政治リーダーは往々にしてナルシストになりやすく、権威主義に陥るのが常です。国家のために働くという意味では公が私に先立っているように見えますが、実は動機は自分にあるというケースは少なくありません。権力を持つ者の最大のリスクです。

 さらに世界的にリスクが高まる中、政治家にはリスクを感じ取る感性が必要です。ビジネスの失敗も感性不足は見えない主因といわれます。リスクマネジメントは理論だけでなく感性が必要というのは一般的に知られていることです。

 さらに冷戦以降、先細りした政治理念という意味で強い信念が必要です。信念が希薄な人間は権力を握ると自分が見えなくなり、ナルシズムが頭をもたげ、人間としての規範が失われるリスクがあります。信念を最後まで貫くのは容易なことではないからです。

  

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 次期アメリカ大統領の可能性が高まるドナルド・トランプ前米大統領候補が、サウスカロライナ州での支持者集会で10日、軍事費負担が不十分な北大西洋条約機構(NATO)に対して、ロシアが「好き勝手にする」のを「促す」と述べました。英BBCは、同氏の挑発的発言に「始まってしまった」と非難しました。

 トランプ氏は前回の大統領就任時にも、NATOについて、アメリカの負担が欧州加盟国より多いのは不公平だと主張し、是正を求め、波紋を呼びましたが、今回は欧州の加盟国が支出を抑えるなら、プーチン露大統領に攻撃をけしかけるよう呼びかけるぞとトランプ流交渉術で欧州首脳に圧力をかけたわけです。

 数日前の8日、プーチン氏は米FOXニュースの看板アンカーだったタッカー・カールソン氏のインタビューに応じ、「ウクライナ戦争を終わらせたければ、NATOがウクライナへの武器供与を止めるべきだ」と述べたばかり。トランプ氏がこの発言を知らない訳がない中での挑発的発言でした。

 ロシアがウクライナへの侵攻直前、バイデン米大統領は、アメリカがどう行動するかメディアに聞かれ、「ウクライナはNATO加盟国ではないので、地上軍を派遣することはありえない」と述べました。これはプーチン氏にとっては侵攻のゴーサインになりました。

 外交は舌戦です。喧嘩の強いトランプ氏は、相手に対してハードルの非常に高い攻撃的提案を行うことで有利な結果を引き出すのが常套手段です。タフネゴシエーターの同氏の「ドア・イン・ザ・フェイス」的交渉術で有名です。空気を読むこと走るバイデン氏とは対照的です。

 しかし、中国、ロシア、イラン、北朝鮮のような専制主義の国が台頭し、西側世界の指導者に対して強気の舌戦を繰り返し、恐怖を煽っている現実からすれば、相手に媚びるような交渉は役には立たないのも事実です。ならず者国家には厳しい姿勢で臨むのは基本です。

 無論、戦争規模を実際、拡大させては、挑発的発言も逆効果です。しかし、リベラルな優等生の役人体質の指導者は原則論だけ主張し、相手を追い込むことしか知りません。結果は戦争の長期化で犠牲者の数は膨らむばかりです。

 トランプ氏の国益最優先の姿勢は、専制国家にも共通するもので、相手に手の内を見せているようですが、その分かりやすさが抑止にもなっています。アメリカが不利益を被ることがあれば、世界最強の国アメリカが牙をむくという態度は核兵器に以上の抑止力と言えるでしょう。

 民主党の指導者が西洋的普遍的価値観を持ち出すよりは効果的です。それもおとなしくするならアメリカはパートナーとして支援を惜しまないと北朝鮮にも言ったわけですから、ディールと相手は受け止めるでしょう。今は西側にそんな指導者が必要な時代とも言えます。

 2022年の欧州諸国の国防支出は13%増え、3450億ドル(約49兆円)に達しました。ウクライナ戦争を受けた増加でした。とはいえ、欧州各国の国防費の合計は、米国の国防費(8770億ドル)の約40%にすぎない。ウクライナ紛争もアメリカ次第は明確です。

 トランプ衝撃発言について、欧州内の指導者の反応は様々です。というのもフランス、ドイツは、これまでもプーチン氏の顔色を伺いながら、ウクライナ支援を行ってきた経緯があり、加えて自前の兵器製造に、どこか積極姿勢が見られないため、トランプ発言で背筋を凍らせています。

 一方、国境を挟んでロシアやベラルーシと対峙するポーランドやエストニアなどのバルト三国は、トランプ発言に呼応し、欧州のウクライナ支援拡大を呼びかけています。この2年間、双方の温度差は縮まることはなく、欧州西側諸国は英国を除き、平和ボケが続いています。

 実はNATO加盟国は、圧倒的なアメリカの存在感の元で平和を享受してきたことへの自覚が薄く、各国国民に至っては、その現実も知らない人が多いのが現状です。コロナ禍が始まった時、マクロン仏大統領は「これは有事だ」と発言しましたが、ウクライナ紛争は有事と捉えられていません。

 トランプ氏に「いい加減目を覚ませ」と言われているようなものです。国土防衛強化が喫緊の課題となった日本では、軍事関連企業の撤退が続き、自前の兵器での防衛が難しい状況ですが、実はドイツも同じような状況です。ならず者がいる以上、強い交渉力と強い国防力は必須といえます。



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 日本の円安、株高は、他の先進国の多くが株高と通貨高にある中では例外的道を突き進んでいます。注目は日銀がいつゼロ金利政策を解除するかですが、通常、先進国が足並みをそろえるはずの金融政策で、特にアメリカに従わない日本の判断は、国の事情の違いなのか、それとも日銀が欧米の中央銀行より優秀なのか判断がつきかねるところです。

 はっきりしている事は、長年続いたデフレスパイラルからの完全脱却をめざす日本が物価と見合った給与水準の引き上げに、今は政府が旗振り役で労使が同じ目標に向かって努力を続けている最中です。

 日本企業の課題は給与を上げるために必要な生産性の向上、効率化、従業員1人1人が生むパフォーマンス向上のための人材育成ですが、長年、全体野球を信じてきた日本企業は、個人の主体性、自律性を育てる土壌が貧弱で、世代交代も進まず、ドラスティックな転換に苦戦しています。

 一方、給与が上がっても消費意欲が高まるかは大いに疑問です。たとえば、米ウォールストリートジャーナル(WSJ)は「好景気でも浮かぬ米国人、なぜ?」という記事で、アメリカの消費者が好景気なのに消費に極めて慎重な実態を書いています。

 これは少子化対策と似て、子供を産むのを控える主因が教育費の高騰にあるといって、教育費の無償化を進めても、少子化に歯止めが掛からないだろうと予測されています。WSJの分析では、アメリカの消費者が消費に慎重な理由について、幅広い社会的・政治的脅威への不安があるとしています。

 少子化も同様で、教育費の削減が実現できても、子育てに必要な住宅スペースの確保を考えると住宅価格が下がらなければ、子供は生まない可能性は高いでしょう。子育て環境を改善するには多岐にわたる包括的な支援対策が必要です。

 それでも激動の時代にあって、戦争の長期化や気候変動を見ても個人の力の及ばないところで、世界は脅威に晒されています。株価高騰も長期的保証がないどころが不透明感は何一つ変わっていません。

 消費欲にしても子供を産み育てたいという意欲を支える土台が世界的に崩れている状態です。そんな中、デフレに苦しんできた日本もそうでない国も、消費傾向を大きく変えたのは、中国が提供する安価な製品です。

 日本では100均が完全定着し、収益を上げ、不調なデパートの中に浸食しています。過去に2倍、3倍の価格で買っていた短期的に必要な物を景気が良くなったとか給与が上がったからといって、3倍で購入する人はいないでしょう。

 グローバル化が進むことで、経済消費慣習は歪になったと言えます。価格の高いものほど売れたバブルの時代が戻ってくる可能性はもはやないでしょう。今はサービスの差別化で、高品質の物やサービスにお金を使うことと、日常生活コストを抑えることが同時に起きています。

 その意味では教育費も同様で、教育費を無償化しても、人間の欲は限りがないので、今度は塾や家庭教師、予備校、さらには私立校に子供を通わせる投資は増え、それに投資できない家庭は結局、負け組になる可能性が高いとの見方もできます。

 100均の商品のほとんどは中国で生産されていることを考えれば、100均の定着は中国の戦略成功だったと言えます。おかげで日本人はデフレマインドから脱却することが困難になっています。

 私の提案は30年以上前から変わっていませんが、人間生活の基礎であり、家計を最も圧迫する住宅価格を低く抑えることが、最もデフレ脱却に効果的と見ています。そうすれば豊かな生活の追求のために家にいる時の生活の質向上にお金を使うことになり、子供も産みやすくなるでしょう。

 フランスで私の周辺で住宅を購入する場合のローンは、平均的に15年です。日本の半分で返済が終わっています。その間は5週間のバカンスを過ごし、問題なく暮らしています。

 ただ、少子化対策という極めて国の経済を左右する重大な問題に対する日本の政治家の意識の低さは、それに取り組む予算と担当大臣を見れば、他の先進国よりかなり見劣りする現実があります。

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 昨今のダイハツはじめ、大手自動車メーカーに起きた義務化された安全基準の検査を省略したり、データを改ざんする行為は、消費者と株主を裏切る違法行為として社会的批判を浴びています。これはコンプライアンス、企業のモラルが問われている事例で、利益を上げるために利用者の安全を軽視する態度です。

 そこで問われるのは巨大化、複雑化するビジネスから、個人のプライベートに関わることまで、21世紀のモラルの行方が問われています。一方でSDGsやESG投資など、公益性を重視するものが重視されていますが、これらが皮肉にも利潤追求を最大化する企業活動の持続性を妨げる現象も起きています。

 世界を巡った個人的見解からすれば、世界一と言われるアメリカのプラグマティズム(実用主義)と日本式プラグマティズムには根底に流れているものに大きな隔たりがあります。

 日本式プラグマティズムは宗教をご利益と結び付けているのが特徴で、有名な近江商人の三方よしは、「売り手によし、買い手によし、世間によし」とあり、最後の世間によしは社会貢献に繋がるもので商売にも公益性が必要と説いています。今でも日本企業のDNAに流れています。

 ビジネスには自己中心の非道徳的側面が付きまとうわけですが、世間すなわち社会のためになっていること、すなわち公益重視の考えがあるわけです。日本人からすれば、この精神があるから問題ないというわけですが、その道徳的行動を規制する「社会」あるいは「世間」に問題があれば、自動的に企業も問題を抱えることになります。

 例えばいい例は自民党の金と政治の問題です。政治家が金で腐敗していると言いますが、世間が金で動いているとすれば、政治家はそれに答えているだけです。日本では個人と組織が同一に考えられ、独立した市民としての有権者の票より、組織票が物を言うのも企業の利益のためです。

 世間が正しいかどうかの検証なしに「世間よし」という辺りは,きわめて日本的で普遍的な善悪より相対的な現実のモラル優先というわけです。江戸時代に士農工商にある商人を卑しい存在としたのも、日本式プラグマティズムが相対的な人間関係を根拠にしているのもうなづける話です。

 一方、アメリカのプラグマティズムは、功利主義から来ており、ルーツは18世紀にベンサムによって提唱され、その後、J・S・ミルらによって発展しました。「最大多数の最大幸福」というスローガン
があります。アダム・スミスやケインズ経済学にも見受けられます。

 西洋人は長い間、イエス・キリストが商人が天国に行くのは難しいという発言に苦しめられ、金儲けは人間に損得の不平等を産み、不道徳な行為という考えを抜け出すのに苦労しました。

 分かりやすい例をいえば、キリスト教の一派であるモルモン教には10分の1献金しています。聖書にしばしば出てくる神への献金は教会を通じてなされるわけですが、聖書には「神は喜んで与える人を愛してくだる」と明記され、「喜び」は「救いの喜び」に通じるもです。

 モルモン教は10分の1献金を徹底していることで知られていますが、金儲けすればするほど神を喜ばせられ、献金した者は救いの喜びを得るという事で、経済活動との矛盾に折り合いをつけていることになります。霊界の様相を説いた神秘主義で知られる宗教学者スウェーデンボルグは「金持ちは天国いけないというのは誤り」と指摘しています。

 アメリカのプラグマティズムも功利主義も、こういったキリスト教の教えに繋がっており、社会の弱者を助けるための富裕層に定着している寄付文化も、そこからきています。この慣習は日本では東日本大震災までは希薄でした。

 日本の場合は、宗教と経済活動の矛盾で悩むことは少なく、商売繁盛、ご利益をもたらすために宗教も存在している側面があります。運勢という独特の東洋の考え方も深く東洋人には定着しています。

 宗教とビジネス、モラルとプラグマティズムの関係は今、何でもありの伝統破壊のリベラル化が世界的に進む中、論じられることもなくなりました。どんなに地球温暖化で不都合な現実があっても経済発展を優先しているのも宗教やモラル、公益性の意識が希薄だからでしょう。

 その意味ではダボス会議で何を話し合ったとしても、それ以上に資本主義やプラグマティズム、さらに宗教の存在価値について、大きなリセットができる理論が必要な時が来ていると言えるかもしれません。特にご利益宗教の日本の行く末は気になるところです。 

 

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 グローバルマネジメントや異文化間コミュニケーションの研修を担当していて受講生から言われることは、研修内容は、異文化を抱える現場だけでなく、日本人同士にも役に立つという反応が多いことです。

 それはその通りで異文化とはジェンダーの異文化、出身地の違いも異文化です。人が集まれば異文化の葛藤が生じるのは、何も国籍だけではありません。ダイバーシティ効果が重視される現在、異文化の克服は日本人同士にも必須のスキルとなっています。

 経団連が実施した「企業が採用選考を実施する際に重視する要素」の調査結果では、1位がコミュニケーション能力(82.4%)で、2位が主体性(64.3%)だったそうです。実はこの2つがある人は非常に少ないと言われています。

 つまり、企業が直面する課題から導き出された人材ニーズと現実はミスマッチ状態にあるという事です。原因の1つは教育です。コミュニケーション力を養うには論理的思考、伝える力を養う訓練が必要ですが、日本には欧米にあるようなディベートの授業はありません。

 主体性に至っては、個人の意思や主張を尊重するより、全体の調和を優先する教育を幼稚園の時から行っている現状からは、主体性を身に付ける機会は乏しいのが現状です。さらに社会に出れば、主体性のある言動はリーダーシップのない空気を読むだけの上司から煙たがられ、否定されます。

 日本人は与えられたものを最後までやり抜く、いわゆる自主性はあっても、人とは違った独自のヴィジョンで動く高いモチベーションを持った主体性はないと言われています。企業も主体性を求めながら、自己主張する社員に圧力を加える傾向があるので主体性は育ちません。

 社会はダイバーシティの重要性を説いているのに、若者は異文化に対する恐れや不安が強く、昔は異文化に挑戦する国際人に価値があったのが、今は「面倒くさい」と言います。異文化のハードルを越えた先にワクワクする世界があるという期待感は極端に減退しています。

 そこで主体性を育む方法論として組織が取り組める方法として注目されているのがカルチャーコード(行動指針)です。そもそも西洋はトップダウン、日本はボトムアップと言われ、日本では意思決定も合意形成型が浸透していますが、西洋人の方が圧倒的に主体性があるのはどうしてでしょうか。

 カルチャーコードが推奨する行動指針は、企業側からのトップダウンではなく、従業員たちが意見を出し合って決定し行動するボトムアップ型と言われています。社員が主体となって考え、設計することで、改めて組織の魅力や目的、自分たちの存在意義を再確認できるというわけです。

 そういうと何でも話し合いで決定しているのにと反論する人もいるでしょう。そこで重要なことは個々人に選択権、明確な役割と責任が与えられ、意思決定にも自分が影響を与えられるという企業文化です。さらに個人とチームが明確な目標を共有することです。

 つまり、決して個人が組織の犠牲になることを強いないカルチャーコードを定めることです。そこには個人を尊重する文化、裏を返せば組織に従属するだけのイエスマンを作らないことです。

 この主体性を育てながら、今度は異文化のハードルを越えるスキルを養うことで成果を出せるわけです。空気ばかり読んで主体性がなければ、異文化間コミュニケーションは成り立たないし、異文化のハードルを越えることもできません。

 つまり、マインドセットの大前提として主体性を育むことが問われているわけです。その上で異文化のハードルを越えるマインドがセットされるべきでしょう。個人の主体性を軽視する企業文化ではグローバル人材も生まれません。